この世に絶対的(100%固定されていて確実)な正義はない。宗教、国家、パッと簡単に挙げてみても、人々の間に、絶対的な正義がなく、偏りがあることがわかる。それぞれが、ある程度の法律で基準はまとめている。警察という正義を用意することで、混沌として、自滅するような結果にならないように、秩序を守る。だが、ある国では許される行為も、ある国では違法行為である。法律の在り方も、絶対ではないのだ。金がないからゴミをあさる人間、金がないからスリをはたらく人間、金がないから暴力団になったという人間、では、正義は金なのだろうか。
『”平和”を知らねぇガキどもと、”戦争”を知らねぇガキどもの価値観は違う!!!
それとも、”力”なのだろうか。
頂点に立つ者が善悪を塗り替える!!!今この場所こそ中立だ!!! 正義は勝つって!?そりゃあそうだろ
勝者だけが正義だ!!!!』
いや、後で出来た”力”になど、正義は無い。勝者も金も法律も宗教も、人間が、勝手に後で造った”正義”である。人間が地球で勝者だと思い込んでも、宇宙規模から見たら、その存在はほとんど皆無。あまりにもちっぽけな存在だというのに、それでも自分が勝者だと思うか。他の動物や生命は、こういうことを考えているだろうか。正義などと。生き残ることは考えても、生き残った者だけが正義などと、考えているだろうか。思いあがってはならない。
人間も、他の生命と同じように、この地球で生まれ、そして死んでいくだけ。そんな自分の運命も変えられないのに、勝者(他の生命とは違う運命をもつ者)にはなれない。この世に絶対的な正義は無い。ある絶大な”力”をもつ者が振りかざす”正義”も、またある人間の”信念”には、通用しない。
この世に”正義”があるとしたら、それは相対的(それぞれに適切)な正義だけだ。自分が正しいと思う思想や、信仰や、ルールや、道徳や、信念を守り、この世に悔いを残さぬよう生き、子孫に命を繋ぐために生き貫けばいいのだ。『正義は勝つ』という言葉の意味とは、『戦いに勝った人間が正義』という後付け、結果論ではない。『正義』とは、こういうことを紐解くときに必要となる指針、模範、規範、原則、そして”真理”のことである。
つまり、『真理は勝つ』。古より伝わる、聖書、論語、仏典、クルアーンではその”真理”を伝え、現代の書である、『7つの習慣』をはじめとするあらゆる叡智ある本には、原則に沿った考え方である『原則主義』を説き、それを教えている。目には見えない、常として表に表れない、表現も違う、時には闇に葬り去られることもある。だが、この世に確実に存在し、絶対的に共通する”真理”。この世に絶対的な正義があるとしたらそれは、 “真理(いつどんなときにも変わることのない、正しい物事の筋道)”だけなのである。
Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV
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この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。