『上杉謙信の言葉』を自分のものにしよう!

上杉謙信とは(画像

日本武将通称『越後の虎』。上杉謙信は1530年2月18日に生まれ、1578年4月19日まで活躍した日本の戦国時代の大名です。主に活躍したのは現在の新潟県上越市で、その地域性を加味して後世には越後の虎、あるいは越後の龍などと呼ばれるようになりました。そのように猛々しい面が広く知られているものの、甥で後の養子になる上杉景勝には身の上を心配する手紙などを送ったことが記録に残されているなど、子煩悩だった一面も伺えます。

白い頭巾のイメージで知られる上杉謙信は、一度出家して仏門に入ろうとしたことがあります。上杉家家臣の内部抗争や宿敵の武田信玄との戦いが芳しくない状況に嫌気がさし、仏門の毘沙門天堂に篭ることが多くなっていて、そのまま信仰の世界に入っていき、1556年の3月23日、ついに家臣に出家の意向を伝え、6月28日に出奔してしまうという事件を起こしています。結果としては家臣たちが主である謙信を探し出し、説得したことで出家を思いとどまっています。このエピソードから仏門との結びつきが連想され、今日知られるような白い頭巾のイメージで語られるようになりました。

義侠心の厚い武将として後世に知られているという一面もあります。今川家が武田家に対し、塩の輸出禁止を行い、さらにそれを周辺の国々に要請した際には、逆に甲斐への塩の輸出を推奨しています。敵に塩を送るという言葉の由来ともなっているこのエピソードはとても有名です。名言に、「自分は国を取るという考えはなく、のちの勝ちも考えない。さしあたっての一戦に勝つことを心掛けている」というものがあります。武人としての勝ちにこだわった正々堂々とした姿勢が伺えます。

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