名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
考え方の角度を変えるためには、
オーストリアの心理学者、アドラーのこの言葉を全て見ると良いだろう。これだけでもう十分この問題は解決である。あるいは、エピクテトスのこの言葉。
これと繋げることもいい。更に深く潜って理解するならば、『藤木と山田』。ここに全ては書いた。あの名作『ちびまる子ちゃん』の、楽観主義と悲観主義の二人の少年の話である。インサイド・アウトとアウトサイド・インという発想がある。だからこの発想はアウトサイド・インからインサイド・アウトに変えればいいという話だ。
例えば侮辱された。だが、次にとれる行動があるはずだ。次にとれる行動があるのに、『侮辱された』と言って立ち尽くしているだけでは、相手や周りの環境のなすがままである。環境は自分で作るものだ。それであれば、侮辱されても次に自分が取る行動次第では、その現実が面白おかしいものに変わる。
例えば私が中学一年生の頃の話だ。それも、入学してすぐ。私のいた小学校は平和そのものだったが、隣町の小学校が少々荒れていた。私のいた小学校にも、その小学校の生徒が殴り込みに来て、
と言ってきたものだった。偶然その時も私が対応していて、平和主義だった我々は、その喧嘩を買わず、相手に価値を譲ってその場を丸く収めた。そして中学入学のとき、その隣町の生徒たちは野心をぎらつかせていた。私はまだその時、喧嘩など一度もしたことがない人間だったが、私が学校の軽いボス的存在だと思ったのか、その隣町の生徒たちは私が廊下を歩くとき、肩をぶつけてきたのだ。随分と体格のいい生徒であり、そのまま成長すれば相撲取りになるような力持ちに見えたその生徒は、肩をぶつけてきた刹那、私がそいつの背中に裏拳をかますと、すごすごとその場を去っていき、それ以上に発展することはなかった。
私もよくその瞬間に裏拳を出せたものだが、それがあってか、私は別にいじめられる対象、あるいは支配下になるような対象にはならなかった。もし私がその時に相手のなすがままにされていて、何も出来なくておじけづいていれば、その行動は思い出したくもない経験となったかもしれない。だが、私はそのとき『行動』して、その侮辱されたシーンを『面白おかしい思い出話』に変えることができたのだ。つまりはインサイド・アウトだ。自分次第でその環境もその現実も、違う物語になる。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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