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考察
生徒を尊敬する。それが出来ている人間など、どれぐらいいるだろうか。少なくとも私の小、中学校の頃は、尊敬されなかった。まあ、小学校はいい。ほとんど記憶もないのだから。そんな記憶おぼろげな不安定な子供を、尊敬するということもないだろう。だが中学校はどうだ。彼らには尊敬というよりも、威圧、強制、嫌悪、抑制、軽蔑、妥協、そういう印象しか思い浮かばない。もっとも、真正面から反抗し放題だった私の責任でもあるが。
その後で出会った大人、教育者、指導者たちも、皆大したことはなかった。歪曲させたり、援用したり、脅したり、怯えさせたり、放棄したり、侮蔑したり、
(この世に大した人間なんていない。)
私は確かに、世の中の大人に対してそういう目で見ていたのだ。だが、そのまま『その道』をさらに突き進むと、地獄の底で、とんでもない猛者たちと出会うことになった。その場所は人間の尊厳を守る、最後の砦だった。私が『斜に構えていた』のか『見識が鋭かった』のかは、どうでもいい。しかし、どちらにせよ『そんな私』の心が、心底彼らを『恩師』と呼ばせている。この事実が、彼らの人間性を物語っている。
なぜ、彼らを恩師と呼び、他の大人たちを『大したことないやつら』と呼んだのか。答えは、エマーソンの言う通りだ。彼らは我々生徒の、『尊厳』を尊敬してくれていた。だからこそ、怒鳴り散らし、慣れ合いを軽蔑し、自分本位な人間を見下した。軽薄に、無責任に、小さい器で生きていくことを許さなかった。それは、我々の人間としての可能性を、信じて尊敬していなければあり得ない教育だった。
我々の中には何人も教育放棄された人間が居て、教育に関して見下していたし、諦めている者も多かった。そんな人間達が、心を入れ替えたのである。私はそこで『真の教育』を見た。
教育の神、森信三は言う。
相手の能力をどこまでも信用し、教育放棄せず、妥協せず、ひいては彼らと一緒に死ぬ覚悟があるか。それぐらいの覚悟が伝われば、どんな生徒でも必ず本腰を入れて人生と向き合うことだろう。あれから10数年。私は今、
男性
などと発言する、『吃音症、兄を幼少で事故で亡くした、被害者意識の塊』の部下と、もう6年以上、全力で向き合って指導している。何度も怒鳴りつけ、何度も殴りつけ、何度も信用し、何度も裏切られた。だが、私は絶対に屈さない。
私は偽善者ではない。彼の能力が低いことは重々周知だ。全ての人が教育によって、億万長者になったり、世界的な人格者になれるわけではない。だから『彼なら出来る』などと、言うつもりはない。
だが、人間の可能性を、私は信じて疑わない。彼の教育を放棄することはいつでも出来るが、私はかつて『真の教育』を受けたのだ。それをすることは絶対にない。その断固とした誓いは、彼ら恩師への恩返しの気持ちなのだ。10数年経った今でも、『こんな私』の心にここまで根強く残る恩師の教育。彼らは私を信用してくれた。親にも宗教を強要され、教師からは教育放棄をされ、どこへ行っても理解者がいない中、この世で初めて、私を信用してくれた恩師の存在。私は彼らを裏切ることは出来ない。裏切ってはならないのだ。
追記:この記事から更に4年が経ち、この部下は10年目に入った。だが、彼は今日これを書いているこの日も遅刻をし、その前日も遅刻をし、その前々日も遅刻をしている。私はこういう部下と向きあい続けているのだ。
私はそろそろ、モンテーニュがこう言うように、
違うアクションを取る必要があると考えている。森信三やエマーソンの言葉を胸に秘めながら。しかしそれはまだ5年は先の話だ。またいずれこの結末を書こう。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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