名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
私が10代の頃に強く心に思い抱いていたことは、『思いやりは、相手次第で、余計なお世話になる。』というものだった。それは、私が宗教を強要され続けたからである。クリスチャンにならなければ、一家の一員として認められない風潮があった。そしてそれは、親なりの愛だとわかっていたところが、事態を複雑にさせていた。しかし、私は求めていないのだ。それは今も、そして未来永劫としてそうであると、誓えることだろう。ただ、今回は一気にこれらの話を別次元に飛ばしたい。
この話を、心で考えて欲しいのだ。確かにチョッパーは、結果的にヒルルクに毒を飲ませてしまい、致命傷を負わせた。しかしチョッパーは、彼を殺す気などなかった。わからなかったのだ。良薬だと思って、命がけでその薬を手に入れ、ヒルルクのことを想った。そしてヒルルクはそのすべてを受け入れ、それが毒だとわかったうえで、あえてその毒入りスープを飲んだ。
チョッパーはその後、ドクターくれはに殴られた。戦友であるヒルルクに飲ませたそのスープが、毒だったからだ。チョッパーは慟哭した。大好きなヒルルクに毒を飲ませてしまったからだ。そして、それが毒だとわかったうえで飲んでくれたヒルルクの優しさに触れたからだ。
しかしヒルルクはその後、自分で作った違う猛毒を飲み、心の中でこう言い、
(安心しろよ、チョッパー。お前のキノコじゃ俺は死なねぇ。)
そしてこう言い叫んでこの世を去った。
『まったく!!!いい人生だった!!!』
(ありがとうよ、チョッパー)
チョッパーがしたことは善行からきた間違いだった。だが、それは悪行だったのだろうか。人を死に追いやったのだから、普通はそうなるだろう。どこかの医者が、
と言ったところで、被害者である患者の遺族は、許すことはない。だが、ヒルルクはチョッパーを悪人に仕立て上げなかった。それどころか、チョッパーの心にあった善い心だけを見て、『お前は医者になる資格がある』という言葉をかけたのだ。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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