名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
『知的な馬鹿』という言葉に全ての意味がある。まず、『知的』とすることで、その人物の尊厳をぞんざいに扱っていない。だが、その後に『物事を複雑にすることにおける弊害』を理解できていない部分をピックアップし、『それでは馬鹿と同じだろう』ということをほのめかして、気づきを与えさせてくれているわけだ。尊厳を尊重しながら、優しく諭しているということである。
私の周りや、私の過去を思い出しても、この『知的な馬鹿』はたくさん見かけることが出来る。つまり、往々にして人間というものは、この『知的な馬鹿』になりがちなのである。
だが、アインシュタインがこう言った様に、
その『蔓延している普通、一般常識』の正確性は、そもそも疑わしいのだ。
稲盛和夫は、
と言ったが、『単純なことを複雑に考える』のも、『複雑なことを、そっくりそのまま複雑に考える』のも、あまり賢いとは言えない。何しろ、鵜呑みにしている。その時点で、他の要素に支配されている。他の要素に支配されずに、しっかりとした自我を確立させる、強い主体性を発揮する人間は、この世にいるのだ。いる以上は、それと比較されることになる。
私などは、複雑な思考回路かつ繊細な心を持ち、極めつけは高いプライドを持っているものだから、正直、常にこの半生は葛藤してばかりだった。
知人の中には、
とか、
と言う人間もいたが、これは正直な話、全く疲れないのだ。前者は単なる悪友の一人だからいいが、『疲れない?』と言った人間は心理カウンセラーだ。私は15歳だった。しかし、あれから17年の月日が経とうというのに、私のその時言った『いや別に疲れません。』という発言は、いまだに微動だにすることはない。逆に、(なぜそう発言するのか?)という『距離』さえ感じたものだった。それはおそらく彼女が、『複雑に考えすぎた』のが原因だろう。
私は複雑な構造をしているが、しかし、別に最終的には死んで終わるという決定的な事実を、真正面から受け止めているのである。つまり、唯一無二のこの命を生きるにあたって、『疲れる』ということにはならない。身体的にそうあっても、それはむしろ『悦び』だ。何しろ人間は、命を使い切ることが使命だ。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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