名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
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考察
『心頭滅却すれば火もまた涼し。』
武田信玄の側近、快川和尚は、織田信長に城を焼かれるその刹那、そう言い放ち、禅を組みながら轟々と燃えさかる炎の中、潔く最期を迎えた。この言葉の意味は深い。アインシュタインの『相対性理論』が提唱される前、ニュートンが提唱していた『絶対的な空間と時間の存在』が一般常識だった。簡単に言えば、この世に在る宇宙や、地球、一切の資源や生命というものは『絶対的』で、誰の目から、どう見ても、そこに絶対に存在して動かない。そう信じられていたが、アインシュタインによって、『いや、絶対ではない。相対なのだ。』ということが証明された。
つまり、時速50kmで考えたとき、誰からどう見ても、時速50kmは、時速50kmだと言うのがニュートン。だがアインシュタインが証明したのが、
アインシュタイン
ということなのである。つまり、『絶対ではなく、相対』。人によって、状況によって、『光』以外の全ての森羅万象は捉え方が違う。それを紐解いたのが、『相対性理論』なのである。
それだけではない。ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンが提唱する『プロスペクト理論』、これは、『効用の結果は、相対的である。』というもの。簡単に言えば、100万円という現金があったとする。これを受け取る人の生まれ育った環境や今の状況、お金に対する概念の違いの影響で、その100万円の価値が、人それぞれ大きく変わってくる。
また、これは私が14歳の頃からずっと疑問に思っていて、10年以上の時間をかけてようやく見つけた真理だが、『限界効用の逓減』とは、例えば、仕事終わりのビールの一杯目は、とても美味しい。だが、二杯目、三杯目と量が増えていくうちに、味の質が落ちていくのを感じるはずだ。つまり、『ビールそのものがうまい』わけではないのだ。そのビールにたどり着くまでの過程や、その人の心理状況、捉え方、一定の負荷等が、ビールの価値に大きく影響するのである。
この真理は、なんと『聖書』にもまた、違う表現で書かれていたのだ。『伝道者の書 5章』にはこうある。
『見よ。 私がよいと見たこと、好ましいことは、神がその人に許されるいのちの日数の間、日の下で骨折るすべての労苦のうちに、しあわせを見つけて、食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分なのだ。実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。 これこそが神の賜物である。こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。』
では、これらを踏まえたうえで快川和尚の言葉をもう一度考えてみよう。
『心頭滅却すれば火もまた涼し。』
確かに炎で焼かれるのは、誰だって熱い。熱いが、その事実は『絶対的』ではなく、『相対的』である。自分の心がどう在るかで、生にすがりついて苦しむことも、潔く人生を終わらせることも、どちらの選択肢も、自分で選ぶことが出来るのである。確かに『命』は全てにおいて尊い。だが死ぬ直前、自分の命を身代りにすれば、人の命を助けられる選択肢があったとき、
1人目の他人はこう言う。
他人
もう1人の実の子供は言う。
実の子供
さて、あなたはどちらの命を助けるとき、自分の人生で『命を使い切った』と、心から満たされるだろうか。真理の面から考えれば、命は当然平等であり、実の子供だからといって、えこひいきするのはよくない。だが、そうしたことを取っ払っても、同じ命なのに、どうしてこうも差があるように感じてしまうのだろうか。人間の命の価値は、『絶対的』?それとも『相対的』?和尚の言葉から、内省できるテーマは奥深い。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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