名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
『育児』と『教育』が違う様に、愛の形を間違えている人や、教育方法を間違えている人は多い。例えば私は、両親からクリスチャンになることを強要され、教会に行かなければ父親に怒鳴り散らされ、ハサミを握りしめたことがあるが、殺すほど憎くはなかったので、やり場のない怒りに常に心を揺り動かされる少年時代を送った。
その強要は、私が断固とした意見の主張をする29歳のその時まで続いた。私は18歳も過ぎた頃、とっくのとうに親を論破できたのだが、その時は既に、信仰に頼る人間の心は弱く、それを論破してはならないことを知っていて、あえて何も言わずに触れずに家を出たのだ。
そして10年後、実家に戻ると、母親は何も変わっていなかった。私の前で祈りをする始末。私は、何度その行為をやって欲しくないことを意思表示したかわからない。何も言わなければ、いつまで経っても、恐らくこのまま一生自分の偏った意志を強要してくると悟った私は、かつてよりも更に10年近く経験を積み、激昂することを抑えられるようになった理性で、淡々と、異宗教の存在や多様性について説いた。
最初こそ、そんな私(見下していて、自分よりも格下で、かつ子供で、未熟で、教えが必要な、あるいは守ってあげなければならない対象)に意見されたことが認められず、揶揄して批判し、頭ごなしに否定したが、3日、4日と話を持ちかけていくうちに、母親の多様性への理解は深まった。
キリスト教徒は、確かに20億人だ。だが、無神論者を含めてその他の宗教を重んじる人間が、世界には50億人もいるのだ。それなのに、自分たちだけが正しいと思い込み、それを主張し、愛しているからこそ論破しなかった私を、『反論できない無知で無力な子供』、『さまよえる子羊』として決めつけて、それをいいことに越権行為にひた走った彼女は、決して許されない。
もちろん、『赦される』。その違いは、『許可』と『愛』である。掛け替えのない親だ。だから赦すに決まっている。しかし、両親がしたことを許さないことで、私は、子々孫々に伝えられることがある。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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