名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
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どちらか一方ではなく、『天使と悪魔』という両方の要素に傾く可能性がある。そういうイメージが頭をよぎるはずだが、それは本当のことだろうか。だが確かに、赤ん坊の笑顔を見ていると、天使にしか見えない。子供をさらって殺害する人間は、悪魔にしか見えない。
ダンテは言った。
聖書における『ヘブライ人の手紙』には、『父が子供を叱るとき』について、こう書いてある。
『神が自分の聖性を子に与えようとしているのだ』
つまり人間には『聖性と魔性』の両面がある。
その内、父が子を叱った場所には『愛(聖性)』が宿り、『魔が刺した』人間には『罪(魔性)』が宿っていることになる。人間には、『天使(聖性)と悪魔(魔性)』の両面が備わっているのだ。シェイクスピアに言わせてみれば、
ということなのである。それがわかれば、冒頭に書いた二つの事例が混在している理由がわかるのだ。だとしたら、見えて来るのは『聖性を優位にし、魔性を劣位にする』ということで、そこにあるのは、魔性と聖性の真剣勝負である。
更に言えば、昨今一部の狂信者が世界を騒がせているが、イスラム教における『ジ・ハード(聖戦)』とは、何も人を惨殺することを許可する、という凶悪な概念ではない。『神の為に奮闘する』ことを意味し、つまり、その『神』というものは、しばしば『愛、真理』と『=』であると考えられるわけで、例えば、『人に裏切られ、殺意を覚えた』というとき、そこに現れるのは間違いなく『魔性の疼き』であるわけだが、しかし、それを聖性の力で劣位にさせよう、という『闘い』こそが、この『ジ・ハード(聖戦)』なのである。
ドストエフスキーは言った。
人間はその一生で、『魔性を劣位にする闘い』をやり遂げる試練を課せられている。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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