名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
カエサルは言った。
そこに全てを書いたが、まあ私の母などを見ていると、私と妹が触れ合っているのを見ては、ルンルンと足を動かして浮ついていて、見るに堪えない。今、
(え、可愛いじゃん)
という方向で考えた、女性を筆頭とする人。次の一文を見てどう思うかだ。祖母の認知症、自分たちと私の間にある宗教問題という一線、吃音症を含めたあらゆる問題を抱えた部下、あるいは、その他の親族等とのいざこざやなんかについての問題に目を向けるとなると、目を背け、口を閉じ、内に引き込もる。性同一性障害の人間についての差別的な発言はするし、過去の真実は隠蔽するわで、お世辞にも母が『クリスチャン』の様には見えない。
ただ、その『黄金の盾』を『援用』して、自分の捻じ曲がった思想を正当化し、見たいものだけを見て、見たくないものに蓋をしているだけの、卑怯者にしか見えない。
カエサルは言った。
その自分の思想の正当化の為には、私という、実の子供までをも利用し、私が『嫌だ』と30年言い続けていたのに、宗教を強要し続ける自分の一家さえ、全員同じ思想であればその他のことなど関係ない、という方向に、自分の世界を持っていけるからである。そして、それについて私が起こした『反作用』の行動には、一切責任を取らず、(逆らうあなたが悪い)という空気を作り上げ、私に『反抗期』のレッテルを貼り(28歳までそれを堂々と続けた)、全責任を押し付ける。さて、(え、可愛いじゃん)と言った人の思慮は、どこまで掘り下げられただろうか。
私は、自分の思想こそが最も崇高なのだと振る舞い、イエス・キリストといった神を味方につけ、それを『援用』し、その他の者や、性同一性障害の様な人々を差別し、揶揄し、実の子供をもその思想の正当化の為に利用する人間が、『立派』だとは、口が裂けても言う事は出来ないし、言うつもりはないし、言う必要もない。
この世にあるのはダイバーシティ(多様性)だ。
ブッダは言った。
幸せも、悲しみも、光も、闇も、見えて楽しい景色も、見たくない事実も、全て等しく、この世のものなのである。『差別』をするから、浮つき、そして蓋をするのだ。それが人として在るべき姿かどうか考えるのが、『祈りの時間』のはずである。意味をはき違えたこの手の人間は、私の母に限った話ではない。数億、数十億という単位で、この世に存在しているだろう。自分の幸せだけを追い求める人の目は盲目的であり、排他的である。であるからして視野が狭く、配慮がなく、自分本位である。そういう人はいざこざを起こす。公明正大な視点を持っていないからだ。
『幸せだけを追い求める心が悲劇を招き寄せる。幸せは悲しみと苦しみを克服した心が生み出すものです。』
欲望があるのはいい。だが、自分だけが満たされて喜ぶ小欲ではなく、世界中の人が満たされることを願う『大欲』を持たなければならない。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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