名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
長い間両親からクリスチャンになることを強要され、それについて腐るほど葛藤し続け、しばらくの間は宗教を呪い、親に殺意を覚えていた私が、波乱万丈な半生を経て、
孔子、
ブッダ、
キリスト、
彼らと向き合う心が整い、彼らの教えの本質を見抜こうと目を凝らすと、実は、神格化された部分や押しつけがましい部分を完全排除して、その『フィルターでろ過』されたエッセンスだけを見ると、意外なことに、やはり彼らは『人間の四聖』と言われるだけあって、この私の様な人格の人間が聞いても、彼らの言葉は傾聴に値するものばかりだった。それらの探求によって見出した、ある図式がある。それは、
『愛=真理=神』
という図式である。キルケゴールが言う『神が愛の媒介』という言葉も、探究した私にとっては、すんなり受け入れられる話だ。むしろ、私がたどり着いたその図式と、リンクしているのである。
『愛が宿るその場所に、神がいる。』
この言葉で間違いないが、この言葉を、探究する以前の20代以前の私が聞いたら、
(何言ってんだ馬鹿が)
と言い捨てて終わりだっただろう。聖書における『ヘブライ人の手紙』には、『父が子供を叱るとき』について、こう書いてある。
『神が自分の聖性を子に与えようとしているのだ』
つまり人間には『聖性と魔性』の両面がある。
その内、父が子を叱った場所には『愛(聖性)』が宿り『魔が刺した』人間には『罪(魔性)』が宿っていることになる。
シェイクスピアも、
と言っている様に、我々には『聖性、魔性』の両面が備わっていることが浮き彫りになるわけだが、これを考えた時、『子を叱った父』のその場所と、『魔が刺して人を刺した』その場所、そのどちらに『神が宿った』と考えるのが、納得のいく話だろうか。
『愛=真理=神』。
なるほど、この図式は、今日もまた崩れそうにない。上の3つの、どれでも好きな言葉を選ぶといい。この言葉は、単なる、『日本人が理解できる記号』に過ぎないのだから。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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