名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
言わずと知れた映画界の巨匠、黒澤明は『羅生門』でヴェネチア国際映画祭、『影武者』でカンヌ国際映画祭のグランプリを受賞。国内だけではなく世界的にも名を馳せた『世界のクロサワ』は、後世の映画に多大な影響を与えた。
そんな黒澤の映画への長年の貢献を賞して、1990年、米アカデミー賞・特別名誉賞が贈られた。スティーブン・スピルバーグとジョージ・ルーカスの2人からオスカー像を渡された黒澤が、授賞式でスピーチとして残したのがこの言葉だ。
『私はまだ、映画がよくわかっていない。』
黒澤明という男は、映画の鬼だった。演出に適した天候が来るまでひたすら待つこともあれば、映画内で読まれない封筒の中の手紙の文章までスタッフに作り込ませたこともあったというのだ。
そこまでやる男だからこそ言える、この言葉。物事を突き詰めて考える、プロ、一流思考の人間でなければ、この言葉は出ない。ボクサーの辰吉丈一郎は、同じようにボクシングバカだ。チャンピオンとして日本のボクシング界を席巻した英雄は、
と言って、泣く日もあるという。また、元ミドル級世界王者・竹原慎二も、
と言い、そしてそれは、あのマイク・タイソンも同じだったと言う。周りから見ればプロ中のプロで、弱点なんて無いように見えても、自分の限界まで突き詰めているストイックな人間には、こういう共通点がある。なぜなら、彼らは、『突き詰めすぎた』のだ。だから、『限界を知ってしまった』。『無知の知』とは、自分が無知であるということを知っている知性。『実るほど頭が下がる稲穂かな』というが、人は、突き詰めれば詰めるほど、自分が無知であることを思い知るものなのだ。
どんなに筋骨隆々に体を鍛え上げても、頭を銃で撃たれたら死ぬ。どんなに知識を詰め込んでも、ある専門的な知識のことは全く知らない。どんなにクリエイティブを突き詰めたとしても、それが人々から称賛されればいいのか、自己満足できればそれでいいのか、その答えは誰も教えてくれない。
国際法の父、グロティウスは言った。
自分は、『全知全能』だとふるまいたいのであれば、物事を突き詰めないことだ。思慮浅はかに生きれば、もっと『楽』な生き方が出来る。だが、ストイックな彼らほど人生を『楽しむ』ことは、できないだろう。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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