名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
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考察
私は『生きながらえる』という言葉について内省した後も、何度もその言葉を使うシーンを見かけたことがあるが、しかし、やはり的を射ているのは、今回のサン・テグジュペリの様なケースのはずである。
ルソーは言った。
呼吸しているだけでは、それは『生息』である。
オスカー・ワイルドは言った。
生息しているだけというのは、存在しているだけということ。つまりそれ=『人として成立』ということにはならない。寝たきりの病気の人はもちろん置いておいて、例えば『人』なら、めったやたらに人を殺したり、傷つけたりすることはしないはずだ。しかし、このルソーの言う『行動』の範囲の中に、その『殺人行為』も入ると思いがちだが、これはルソーのそれには入らない。ルソーとて、『行動さえ取れば、そこには人間がいる』と言っているわけではないのだ。『生きているのに、自分の意見を言わないまま死ぬことは、この世を生きたことにはならない』という方向で考えなければならない。
つまりルソーは、『何もしないという行動』は、『行動』として見ていないのである。ルソーの言う『行動』とは、『自分の意見を主張すること』であり、『流されて殺人をすること』ではない。この『流されて』というのは、周りの雰囲気とか、権力者ということもそうだし、『魔性』ということが当てはまる
ドストエフスキーは言った。
聖書における『ヘブライ人の手紙』には、『父が子供を叱るとき』について、こう書いてある。
『神が自分の聖性を子に与えようとしているのだ』
つまり人間には『聖性と魔性』の両面がある。
その内、父が子を叱った場所には『愛(聖性)』が宿り、『魔が刺した』人間には『罪(魔性)』が宿っていることになる。だとしたら、見えて来るのは『聖性を優位にし、魔性を劣位にする』ということで、そこにあるのは、魔性と聖性の真剣勝負である。
更に言えば、昨今一部の狂信者が世界を騒がせているが、イスラム教における『ジ・ハード(聖戦)』とは、何も人を惨殺することを許可する、という凶悪な概念ではない。『神の為に奮闘する』ことを意味し、つまり、その『神』というものは、しばしば『愛、真理』と『=』であると考えられるわけで、例えば、『人に裏切られ、殺意を覚えた』というとき、そこに現れるのは間違いなく『魔性の疼き』であるわけだが、しかし、それを聖性の力で劣位にさせよう、という『闘い』こそが、この『ジ・ハード(聖戦)』なのである。
つまり当然、この『魔性』に流される、ということも『行動』に含まれない。自分の意志で、あるいは『聖性』でもって行動することだけが、ルソーの言う『行動』に当てはまるのである。魔性に屈してはならない。聖性でもって、それと闘うべきである。それで初めて、我々人間は、この世に存在するのだ。たった一度のこの『意志』を、無駄にすることが無いのだ。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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