名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
いや、勇気などいらない。これは『ジード』の話だろう。そもそも、そこに勇気がいるということは、目の前に壁が立ち塞がっているわけだ。それを乗り越える為に勇気が必要である、ということになる。
だが、それもマイケル・ジョーダンに言わせてみれば、
ということなのであり、この問題は初期設定のパラダイム転換によって、難なく解決する。つまり、
ソクラテスはこう言ったが、
自分が無知であるということを認められない人間は、『勘違い』している。自分が高潔で、優秀で、選ばれた人間であるという妄想に依存し、『執着』している。しかし、もし自分の身の周りに、『そう執着する人間は恥である』と評価する人間ばかりだったなら、どうだろうか。彼は本当にその勘違いや、執着に支配されるだろうか。つまり、まず周囲に蔓延している常識や固定観念があって、その範囲から外れると、揶揄され、嘲笑されることから、それによって自分の価値が著しく落ちてしまうことを懸念し、そこで見栄と虚勢が生まれ、真実から目を逸らす方向に傾いてしまうわけだ。
だが、元々その周囲は間違っているのだ。そう考えた時、そこに『勇気』など必要ないだろう。『馬鹿に見せる』となると、自分の心の動揺を自制することが求められるわけだ。それよりも、自分が優秀であるかのように振る舞い、演出した方が、数々のアドバンテージ(有利性)を得られ、自分の心も楽であり、動揺しない。しかしそもそも、周囲は間違っているのだ。まさか、周りに子供ばかりいるとき、その子供の意見が『お菓子を食べたい』と昼食前に一致したからといって、昼食前にお菓子を食べさせる、ということはないだろう。
そこは迷うことなく、
と言って終わりなはずだ。そこに勇気など必要ないのである。しかし、もし『周囲は常に正しい』という図式に依存するならば、勇気が必要になる。
(ここに蔓延している意見や常識に逆らうことは、出る杭となる。そうするとやっぱ、叩かれたり、誤解されたりするよなあ。)
ということで、億劫になるからだ。この『あえて馬鹿に見せることが大きな智恵』ということの意味は、とにかく、『相手に自分の実態を把握させない』ということにある。自分のレベルは本当は50なのに、5とか6だと認知させる。それによって『馬鹿にされる』かもしれないが、実際は50なんだから動揺しないはずだ。
ヴォーヴナルグは言った。
もしそれで動揺するならば、実際のレベルが本当に5か6しかないのだろう。だとしたら『あえて馬鹿に見せる』という言葉を言う資格はない。『全力を出しても馬鹿である』という謙虚な言葉を使わなければならない。相手が、自分のレベルを5か6だと見誤れば、そこに生まれた誤差を利用して、様々な展開に持っていくことが出来る。
例えば、『レッドクリフ(赤壁の戦い)』のある一コマにおける、天才軍師、周瑜だ。曹操軍の遣いが、旧友である周瑜に近づき、情報を盗もうと企んだ。周瑜は、久しぶりの旧友との再会に喜んだフリをして、酒を飲み、酔っ払い、偽の情報をさも『機密情報』かのように仕立て上げ、酔いつぶれてやむを得ず盗まれてしまった、という状況を故意に作り上げた。『メタの世界』を操ったのである。そして戦況は周瑜側にとって有利な展開に進んだ。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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