名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
そうだ。だからいきなりその空いた穴が塞がるなんていうことはない。無理矢理それをしようとして法を破ったり、穴が埋まらないことに焦って生きるのをやめてはならない。
『信頼』についてもそうだ。信頼とは、築き上げるのに気が遠くなる時間がかかるが、それを崩すのは一瞬の油断や怠惰でいい。そして、またその信頼を回復させようと思うなら、築いた時間と同じだけの時間をかけて、再構築し直すしかないのだ。
『恋愛』についてもそうだ。私は20歳前後の時、大きな失恋をした。大きなというか、ただの失恋なのだが、愛を大事にしていればいるほど、その失恋の痛手は大きくなる。私は別に、その彼女と永久に一緒にいるつもりも、結婚することすらも考えていなかったが、愛を大事にしていたため、痛手は大きかった。
普段は聞かない失恋ソングを聞いた。とても骨身にしみて、身動きが取れなくなるほど感傷的に浸った。それが恋というものだ。まるで、自分の身体の一部がそぎ取られたかのように、ぽっかりと空いた穴にその失恋ソングは、注がれていった。
しかし、時間が解決していった。いつの間にか、そんな歌を聞いている暇はないと思って、前に進むようになっていた。私の場合、たったの一日だったかもしれない。そう長いこと感傷に浸っていた記憶はない。だが、その日に注がれたあの失恋ソングは今でもハッキリと覚えている。私にとって、あの失恋の痛手は大きかった。それだけ愛を大事にしていたからだ。
『どんな傷でも治るときは徐々に治ったのではありませんか。』
しかしシェイクスピアの言う通りだ。徐々に、徐々に、時間をかけてその空いた穴は塞がっていった。後日その人とたまたま会う機会があっても、心は動じなくなっていた。抱擁してお別れをする余裕さえあった。『子供を亡くした』ことについては、私が語る資格はない。だが、私の周りにはそういう人が何人かいて、そのうちの何人かは、いまだにそのときに負った傷を完治できないでいて、残りの人は、たくましく前を向いて生きている。
私は、このたくましく前を向いている人の人生を応援したい。もちろん、完治できない人を応援しないということではなく、その『生き方』を応援しないだけだ。言うことはいくらでもあるだろうが、その人が負を負ってしまって、周りの人にそれが飛び火しているのを見ている。
私はそれは、無責任だと考えている。人は自分一人で生きているのではない。生きている限り、責任があるのだ。きっとその亡くなった人も、自分のせいで自分や大勢の人を不幸にしたくない。その人の分まで幸せに生きることを望んでいるのだ。人は生き、そして最後には必ず死ぬ。それが遅いか早いかというだけだ。その人生の黄金律を教えてくれた彼らは『師匠』だ。師匠の教えを、無下にしてはならない。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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