名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
『見栄』だ。この一言に尽きる。この見栄が、理路整然とした思慮の足を引っ張る。誤解を生み、曲解、援用させ、過信と傲慢不遜を生む。それによってまるで『窮鼠が猫を噛む』様に、真の友人との縁を切ってしまうのである。『楽』だからだ。『隠蔽』できる。しかし、おそらくその友は、本当の友だった。だからこそ決して楽ではない試練を突きつけたのだ。その友の出す試練から逃げさえしなければ、友の絆は実に堅固なものになったというのに、惜しいことをした。
『人と人との友情は、賢者でも結ぶのが難しいのに、愚者はあっさりほどいてしまう。』
私は以前、10年近く連れ添った旧友がいたが、その悪友たちと次の高みに行くため、そして悪友から『真友』になるために、小冊子を書いて問題を突きつけ、この友人関係を今後どのようにしていくかについて提言した。しかし、悪友のほとんど全員がその突きつけられた問題のコアを隠蔽し、『このままぬるま湯に浸かり続ける』ことを選択した。私は『それこそがこの集団の問題なのだ』ということを主張したはずなのだが、東大出のグループということでもない。このような反応が出たのは、ある種当たり前だった。
私は、『彼らと高みにいきたいから』それを提言したのに、彼らは、『私がグループの居心地を脅かす敵』と定め、私を排斥し、自分たちの居場所の確保に躍起になった。もちろん、実際の排斥というイメージよりは、私からそのグループを抜けているので、『心理的な排斥』だ。心の中で、(自分と彼とはもう考え方が違う)というような方向で整理をつけ、自己防衛をしたということなのである。
それから1年後ほどだっただろうか。彼らの中の幾人かと一緒に時間を過ごす機会があったのだが、その時、悪友の一人が核心に迫る私の話を遮って言ったのはこうだ。
…私は涙が止まらなかった。私は、決して涙を流さない男だ。映画館が感動で包まれているときも、結婚式でみんなが感慨に浸っているときも、どんなシーンでも涙を流さないように意識しているような人間だ。
その私が、あふれる涙を止めることが出来なかった。その悪友の、心ない一言によって、それまで10年間、彼らに尽くしてきたことがすべて水の泡になったような、茶番だったような、そういう虚しさと、『今後もう二度とこの人のことを友人とは言えない』という寂しさを思い知り、『長い時間をかけて積み重ねた信頼を、自分の自己防衛の為にあっさりと崩してしまった』残念なその現実に、私はただただ、哀しかったのだ。
『人と人との友情は、賢者でも結ぶのが難しいのに、愚者はあっさりほどいてしまう。』
私はもちろん賢者ではない。だが、彼は愚者である。それは紛れもない事実だった。だからこそ私は涙を流したのだ。つまり彼は、『お前がそのような問題を突きつけず、今までのようなぬるま湯につかる馴れ合いの人間関係を続けるなら友人だが、この関係性を脅かすならそれは越権的であり、お前にそのようなことをする権利は最初からない』と言ったに等しいのである。あまりにも愚かな目の前の現実に、頑なに封じ込めていた涙をこらえることができなかった。 私はそれくらい彼らとの人間関係を真剣に考えていたのであり、彼らは私のその思いの強さを、理解することができなかったということなのである。
もちろん、この記事では一方的に私の好きなように書ける。それに人生はまだまだ半分も過ぎていないかもしれない。結論を出すのはまだ早い。いずれ、双方の人生の生末がどうなったかということをここに書き加え、この記事を完結させよう。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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