名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
安心、安全、安穏、安寧、安堵、安泰、平安、平穏。これらを願って何が悪い。子供のこと一つ考えただけでも、これらを祈る人間の気持ちは尊いのだ。『だが』、である。だが、というのが、この言葉だ。『平和ボケ』、『油断』、『手抜き』、『見落とし』、『そうなるとは思わなかった』、『皆やってたから』、『いつもここ通るときは一時停止してなかったし』、『物静かな人でしたけどねえ』、『昨日まで何もなかったから今日もないと思って』
後になって気づいても遅い。後になって言っても遅い。取り返しのつかないことは、ある。『ない』のではなく、ある。これについての黄金律は、ページの下記に載せた『前始末』がリンクしているが、もう一つの黄金律ともリンクする。
安心するとき。それは油断しているときだ。なぜ油断している。油断するような何かいいことがあったのだ。『勝って兜の緒を締めよ』。せっかく勝負に勝ったのに兜がずり落ちて自分の首を絞めて死ぬ。そんな間抜けなことはない。
稲盛和夫は言った。
『構想は楽観的に、計画は悲観的に、行動は楽観的に。』
このたった一度の儚い人生を思う存分楽しく生きようとする心構えはいい。だが、『楽に生きようとする』のは間違いだ。楽に生きようとする人間は、計画すらも楽観的に行ってしまう。(どうせ大丈夫だろう)、(案外何もないよ)、(そんな偶然はない)、(そのときになんとかするさ)、(備えなくても憂いはない)。人間は、自分の正当化をさせたら無限の可能性を発揮する生き物である。だが、その過信と思い上がりが転落に繋がる。
リンカーンは言う。
予測できる自体は当然予測し、『不測の事態』を予測して行動する慎重な人間がいる中で、『予測』すらしない。そういう軽薄な人間に成り下がってはならない。だが、どんなに言ってもこの世に人間がいる限り、慢心の心に支配され、足下を浮つかせ、失墜していく人間は、後を絶たないだろう。
それは、人間がこの儚い一生を『意味のあるもの』だと思い込みたいからだ。先ほど言った『抜群の正当化能力』は、そういう人間の強い思いが根幹にあるせいで起こる現象である。それ自体はいい。だが、本当に意味のあるものにしたいと思うなら、その思いが本物であるかどうか、最後の一呼吸が終わるまで、証明してみせなければならない。多くの人と同じ過ちを犯す人間の命が、本当に厳選された、意味のある魂だと思うだろうか。自分の命の魂を本当に大切にしたいなら、やるべきことがある。一生をかけて、やるべきことがある。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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