名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
私も全くそのタイプだ。学校には当然行ったが、全くやる気にならなかった。勉強が出来ないわけではなかった。中学二年生までは好成績だった。しかし、どんどん授業が本格化してくると、『負荷』がかかるようになり、それを突破して『やる意義』を見いだせなかったし、家庭内に『宗教問題』という複雑すぎるテーマを抱えていたこともあり、
要は、それらの『負荷』を打破してまで、人生を前に進めても、その先に何かやりたいものや、なりたい未来の自分がいるわけでもなかったわけで、だとしたら、と、勉強を放棄し、刹那の衝動に身を任せて、何もかもから自由になる道を選択したのだった。家庭で宗教を強要されたことが大きな要因の一つだろう。私は、とにかく一方的で、押しつけがましい、『義務』というキーワードに対し、ひどく敏感になっていた。当然毛嫌いし、反抗し、抵抗をつづけた。その結果、自由奔放な人生を生きることになったのだ。
つまり私は、最初から自由になりたくてなったわけではなく、自らが強いられている環境から、自らの意志を守るために、『抵抗』したのだ。鼻に異物が混入したら、人間はくしゃみをする。その『抵抗』と同じように、私もそれをしたに過ぎなかったのだ。それに、『抵抗』しなければならない環境を強いた周囲にも、大きな責任があると、私は考えていたのである。
何しろ、どうせ死ぬのだ。それなのに、どうして人が決めたルールの中で生きて、思ってもいないことを言って、尊敬していない人間に頭を下げ、興味のない事を強要され、強制的に押し付けられ、理不尽に屈して生きていかなければならないのか。私には到底理解することが出来なかった。そんなことしなくても、どうせ人は死ぬのだ。それだけでもう十分だろう。後は、自分の好きなように生きたかったのだ。その考え方は、周囲の大勢の人の意見とは、一致しなかった。
周囲の人は、周囲のなるべく多くの人と同じ行動を取り、意見が一致することで安堵し、満足しているようだった。しかし私はそういう人間ではなかった。そこに決定的な違いがあり、それこそが『個性』であり『意志』。つまり、自分がこの世を生きた存在証明なのだから、それを押し殺し、あるいは他の要素を強要され、自分に嘘をついて生きることは、個性の埋没であり、自殺行為に他ならないと考えていた。
エマーソンが自身のエッセイ『独立独歩』で言っているように、
『だれでも教育を受けている過程で嫉妬は無知であり、模倣は自殺行為にほかならないという確信に達する時期がある。』
我々一人一人は唯一無二であり、与えられた環境も、天分も違うし、持って生まれたポテンシャルや、意志、思想も違う。それなのに、他の人と同じ時期に、同じ年齢だからといって、同じ量だけの義務を受け、その中で出た結果の差異に成績をつけ、それによって人間の優劣が決まり、あるいは社会の歯車の一部となることが、私には『自殺行為』に思えてならなかったのである。
激動の時間が過ぎ、私は今、喜んで本を購入し、そしてそれを無駄にしないように、こうして知性の探求をしているわけだ。私にはこれが合っている。誰に押し付けられるでもなく、自分の生まれ持った環境と条件の中で、自分のペースで、するべきときに、心が整ったときに本を手に取り、そこから『自分の人生に悔いを残さない』為に必要な助言を見極め、それを探究し、最善の形は子孫に遺していく。
学校というものは、何のためにあるのだろうか。松下幸之助も本田宗一郎も、田中角栄も皆、最終学歴は小学校までだ。エジソンもそうだ。我々は、たった一度の人生に悔いを残さない為に学校に行くのであって、『学校に行くために生きている』のではない。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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