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考察
作家の五木寛之は著書『人生の目的』でこう言っている。
『地獄は、場所ではない。それら(※負の連鎖を断ち切ること)が出来ない執着にまみれた醜い人間が生活する世界のことを、地獄という』(中略)そして、その『地獄』から抜け出すために、解放されるために、 『真理』や『信仰』の力を借りる。宗教とは、そんな地獄に差す一片の光である。
つまり、この世の闇を照らす一片の光。それが宗教の存在である。ここからわかるのはこういうことだ。
『闇に勝てるのは、光しかない。』
そして、
『光は、闇をも凌駕する。』
あるいは、
『闇が無いなら、光は必要ない。』
とも言えるのである。
仏教やキリスト教が生まれたときに、目の前に広がっていたのは、差別、身分差別、貧困、病気、奴隷制度、強姦、人身売買、死体。続けてこれを見て、どう思うかだ。それは、同じく五木寛之氏の著書『大河の一滴』にある、この一文だ。
あるシベリア帰りの先輩が、私に笑いながらこんなことを話してくれたことがある。『冬の夜に、さあっと無数のシラミが自分の体に這い寄ってくるのを感じると、思わず心が弾んだものだった。それは隣に寝ている仲間が冷たくなってきた証拠だからね。シラミは人が死にかけると、体温のある方へ一斉に移動するんだ。明日の朝はこの仲間の着ている物をいただけるな、とシラミたちを歓迎する気持ちになったものだった。あいだに寝ている男が死ぬと、両隣の仲間にその死人の持ち物、靴や下着や腹巻や手袋なんかを分け合う権利があったからね。』
ここまで目を凝らすと、信仰を持つ人間の心をないがしろにすることは決してできないことがわかってくる。しかしこれらを踏まえたうえで、こういう考え方もある。
たしかに宗教を必要としていない人は、たまたま恵まれた時代や環境に生まれただけなのかもしれない。だがどうだろう。私は両親がクリスチャンで、常にそうであることを強要されたが、私の心は欲さなかった。類稀なる地の果て(暗闇)に堕ちたこともある。周りの人間は騒ぎ立てる。
しかし、私は別にその地の果てでも、決して自殺を考えるような、悲観視するような、そういう人間ではなかった。
『宗教は蛍のようなもので、光るためには暗闇を必要とする。』
なるほど。『暗闇』とは自分の、心の中にあるものを指すらしい。私の心には、どんな暗闇でも光を失わない『蛍』がいるから必要ではないが、もし、そんな私の『強靭な蛍』が太刀打ちできない人生の暗闇に直面しても、信仰という『蛍の光』はいつでもそこにいて、私を救ってくれるのである。頼るつもりはこれからもない。だが、頼らなければならない状況に陥ったときに救ってくれる存在を、見下すべきでもないだろう。とにかく言いたいことは、私は強要されて苦しかった。とても息苦しかった。大好きな両親と価値観が完全に違うことも含めて。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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