名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
よく見る光景だ。机上では雄弁に知識という武器を手に暴れまわっても、実際の現場に行くと、物怖じしてしまって身動きが取れない人が多い。そういう意味でも、自分の頭の中と実際とに矛盾を起こさない人は、稀である。往々にして、矛盾が生じるのだ。言うは易く行うは難しである。
私は幼少期のトラウマから始まって、繊細な心、複雑な思考回路、高いプライドというポテンシャルを抱え、恥をかきながら、この『矛盾』を、どうにかして無くそうとして常に画策してきた。常にあったのは、『口だけ人間』に成り下がることへの警戒であり、そこに恥を覚えていたものだから、当然口数は少なく、誇示するような行動を取ることは滅多になかった。しかし、同時に『主張』も連鎖して抑えてしまったことによって、周囲の人間に大きな誤解を与えた時代があった。その片鱗は今もまだ残っている。
18歳の頃電車で妙な人間に絡まれたときは、もうすでに散々やんちゃをした後だったので、どうそれに対処すればいいかわからず、眉ひとつ動かさず、口も開かず、微動だにしないという態度を取ったが、それが逆に不気味で、相手は次の駅で降り、一緒にいた友人は不気味がって、面白がっていた。殴ったら捕まってしまうのだ。殴られたわけでもないし、それに私の周りに、口だけ達者で、いざとなったらすぐに土下座するような人間がいたから、そういうのを見てきて、
(情けないなあ)
と思っていたので、口論に持ち込むつもりもなかった。
(どうすればいいのかなあ)
と、その時は思ったものだった。それを考えているうちに、相手の因縁が終わっていたのだ。私の『複雑な思考回路』というポテンシャルがわかるワンシーンである。
その様にして、ギャップが起きてしまう。自分が頭で思っていることと、実際のシーンで矛盾が起きる。すると、ショートしてしまうのだ。どうすればいいかわからなくなる。『想定の範囲外』なのだ。私にもそういう時代があった。そんな恥を、たくさんかいてきたのだ。
今でもまだある。それはマキャベリの記事、
ここにも書いているが、私はそれらのポテンシャルに加え、『完璧主義者』というもう一つのポテンシャルを持っているのだ。つまり、『殴るなら殺す』という風に考えてしまう。そして、『でも殺すほど憎くはない。捕まるし。』という発想になる。そんなことをぐるぐると考えているうちに、争いが収まっているのである。私はこの記事で、後一万文字くらい書けるが、ここで止めておこう。話が長いことも、私の『愚かな行動』の一つだ。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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