名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
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考察
ここで今正確にわかるのは『自己防衛』と『最古』だけだ。『神』と『法』の解釈は、その時代、その環境、その宗教や価値観によって全く違う。例えば仏教であれば、その法のことを『ダルマ』という言い方をする。秩序、掟、法則、慣習等の意味だ。『ソクラテス・イエス・ブッダ 三賢人の言葉、そして生涯』にはこうある。
仏典によれば、ブッダは個人崇拝を一切禁じていた。だが一つの驚くべき逸話がある。(中略)『私を見るものは法を見る。法を見るものは私を見る。』とブッダが説法で述べた。と相応部経典は記しているのだ。このように自分を道と同化することでブッダは、ほかの人々とは一線を画す資質、固有で普遍的な地位に値する資質が自分にはあることを示唆しているのではないだろうか。この問題は仏教内部で論争の的となっている。
この言葉は、『どうしたら、その道を知ることが出来るでしょうか』と問いかけたトマスに対しイエスが答えた言葉を想起せずにはいられない。『わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、誰も父のもとに行くことが出来ない。あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。』(ヨハネ伝14章6~7)
要は、実際のあの『法律』のこともそうだが、それぞれの価値観の中でこの『法』という考え方は微妙に異なっていて、そして同じように『神』の考え方も違う。例えばブッダの頭の中に、『神=イエス・キリスト』という図式はない。キリストの場合でもそれは同じことである。
しかし、私はいつもそういう表層的な差異に関しては、そこまで神経質に細部にこだわって考えないことにしている。それに、2000年以上も前の話を、正確に、明確に話が出来る人間など、元々もうこの世にはいないのだ。だからこそイエス・キリストが神の生まれ変わりである、という事実が、未だにハッキリと解明できず、キリスト教が存在しているのだ。
では、このドライデンの言葉はどのように解釈するべきだろうか。私は単純に、こう考える。まず、法の解釈は、見てわかったように、実はどの価値観の中でもそんなに差はない。規範、基準、ルール、法則、掟、というような意味だ。だとしたらこれは、
『自己防衛っていうのは、遥か昔から存在する、この世の法則だ。』
ということ。例えばその他にも、
『生命が死ぬっていうことは、遥か昔から存在する、この世の法則だ。』
ということが挙げられるわけで、とにかく『遥か昔から存在するこの世の法則』のことだ。例えば動物や昆虫は生き延びるために、自己防衛をしてきた。たとえばカメレオンをはじめとする『擬態』はどうだ。シマウマの模様の理由も最近ようやく判明した。天敵から、身を守るためだというのだ。人間が無意識に取る自己防衛本能はどうだ。鋭利な角を見た時にどう思うか。断崖絶壁の様な場所を歩くとき、人はどう思うか。この世には間違いなくそうした『力強い法則』が働いていて、それは極めて古くからあり、真理に等しいものがある。そういう話だと解釈する。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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