名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
しかし、よく映画やなんかでクラブの中で薬物をやって、娼婦にも似た露出度の高い女をはべらかし、敵に乗り込まれて銃を乱射するシーンがあるだろう。それに、映画だけではない。実際の世界でも、クラブで襲撃される事件がある。だとしたらどうだ。『音楽のあるところに真の悪が存在する』ではないか。何しろ、人が死ぬのだ。殺されたのだ。それ以上の悪などないだろう。
しかしその際、注目したいのはセルバンテスの生きた時代だ。1500年代である。今から500年以上も前だ。日本で言えば、徳川家康、黒田官兵衛、伊達政宗等が活躍した時代。だとしたら、そこに『クラブ』など存在しないだろう。
『音楽』への考え方も、在り方も随分違ったはずだ。もっと厳かで、崇高で、儀式の様に厳粛に触れ合った可能性も高い。まるで、音楽と触れ合っている時は、空気が変わり、さっきまであったはずの自分の心の闇が、浄化され、リセットされるかのような、そういう厳粛な気持ちになった。かと思えば、太鼓の様なものを叩き、西洋の方ではアコーディオンの様なものを弾き、酒場で楽しく踊って、歌って騒ぐ、なんていうこともあったかもしれない。
その酒場では喧嘩もあったかもしれないが、蓄音器が発明される前のこの時代、音楽というものには『アウラ』性があった。アウラというのは、一回きりの要素ということだ。HDDやCDやレコードに蓄音が出来ない。だからとても貴重であり、音楽と触れ合う時は、今よりもうんと気分が高揚したはずだ。だから喧嘩があっても音楽が鳴れば、ピタリと止まって肩を組んで踊りだす。そんな、映画でよく観る光景も、本当にあったのかもしれない。
どちらにせよ今とは随分勝手が違った。セルバンテスがそう言ったのは、まるで、太陽の光が宇宙の闇に飲み込まれることなく、輝き続ける様に、音楽の中に、そういう崇高な光を見たからに違いない。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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