名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
まず最初の『うまい』というのは、技術やプレイへの評価だ。その対義語は『下手』となる。つまり感じでは『上手い』と書くわけだ。そして次の『うまくも何ともなくなる』は、『これ見よがしになっている人』に対する評価だから、最初の『上手い』とは少し意味が違ってくる。別にこれ見よがしな人の中にも上手い人は大勢いるからだ。
だからこの場合の『うまい』は、いや、たしかに感じで書くと『上手い』となるのだが、ニュアンスが絶妙に異なってくる。例えば日本では、うまいことを言うと『上手い!』と声をかける習慣があるが、この感覚と少し意味合いが似ている。演技を上手にやった、というよりは、『演技を上手にやりすぎた人を、絶妙な言い回しで面白おかしく揶揄する』というとき、この表現は使われることになる。
例えば、子役が演技をする。礼儀をしっかりとしなければならないとしつけられ、挨拶をマニュアル通りに大声で規律正しく行う。だが、往々にしてそういう子役はベテラン俳優からは嫌われる。それよりも、自分の意志、つまり主体性を持ってやれる子、あるいは、まったくその常識的な概念に囚われていないのびのびとした子が好まれるものである。
この場合、間違いなく演技にしろマニュアルのこなしかたにしろ、『上手い』のはしつけられたほうだ。だが、あまり子供がそういうロボットのような動き方をしていると、本来の『子供らしさ』からかけ離れ、本来の需要からはかけ離れてしまうジレンマがある。従ってこの場合、『うまくやれた』のはのびのびとした子供の方だ。そういう子供が存在することがこの世の現実だからだ。
また、この表現からは『誇示』という言葉がピタリ当てはまる。誇らしげに示す、自慢になって見せびらかす、という意味である。続いて『誇張』とは、実際よりも大げさに表現すること、という意味である。それはほぼ『過信』に等しく、そうなったらもはやそれは『自信』というより『慢心』である。『慢心』とは、おごり高ぶる気持ち、自慢する気持ち、という意味である。自信が過信になり、それが慢心となる。なるほどそう考えたら、『よっぽど気を付けたい』ものである。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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