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考察
問題なのは『地獄』だ。これについてとてもわかりやすい説明をしている本がある。五木寛之の『大河の一滴』だ。『地獄は、場所ではない。』つまり、『地獄』という場所があるわけではないのだ。それを見た人は一人もいないわけだから、見たことがないものを『ある』と言うのは、空想なのである。だが、現実として『地獄』がある。それが五木寛之の言う、この言葉の意味だ。彼だけではない。仏教の開祖、ブッダの言葉について調べると、彼も同じ見解を持っていることがわかる。
生老病死。生きる、老いる、病む、死ぬ。
それを直視すれば、『苦』そのものなのである。だが、最初からそれがこの世の中だという考え方をすることで、この世のあらゆる苦しみから解放される。つまり、『執着』を捨てることこそ、ブッダの教え、仏教の真髄なのである。
ということはだ。ここで言う『騙した人間』とは、自ら地獄の道へと自分を誘ったのと等しい。何しろ、欲にまみれ、『執着』していなければ、騙すことなど考えもしない。地獄の鬼にこらしめられる、などという妄想話ではない。本当に、地獄のような苦しみを味わう世界に、足を踏み入れることになるのだ。それこそが『執着』にまみれた人間の世界である。
『だまされる人よりも、だます人のほうが数十倍苦しいさ。地獄に落ちるのだからね。』
騙されて死に追いやられた人もいる。死よりも苦しい地獄などあるのかと、そういう人は思うだろう。だが、その場合も『死後の世界』のことを考えれば、騙された自分ではなく、騙したその人物が地獄へ行って罪を清算することになると考えれば、心は平安になる。
天国と地獄の発想はそもそも、そのように『公明正大な処遇を受けるべき』という人間の期待が生み出した、妄想の世界の話である。例えばニーチェは、『ルサンチマン(弱者の強者への嫉み)』の感情のせいで、人間が唯一無二の人生を台無しにすることを嘆いた。キリスト教もそうした人間のルサンチマンから始まったのだと。『自分の上に裕福な人や権力者がいて、自分たちにはこの人間関係、主従関係をどうすることもできない。
だが、その人たちの上に、神がいると考えれば救いが見出せる。神がいれば必ずこの不公平な世の中を、公正に判断してくれるからだ。』
そういうルサンチマンたる感情からこの世にキリスト教が生まれ、イエスを『主』として崇めるようになったのだと。
しかし、『自分以外の人間を『主』にするということは、つまり『主体性』を失うこと』を意味するわけだ。だからこそ人は弱体化してしまったのだと。ニーチェはそう考えたわけだ。
神や天国と地獄という存在があれば、今自分たちが受けている処遇につじつまが合う。それだけ、理不尽な思いを強いられていたのであり、そういう歪みきった心を救うためには、そのシナリオはどうしても必要だった。騙した者、自分を奴隷扱いする者、そのような『支配者』の存在に納得がいかない人間は天国と地獄を想像し、自分たちを慰めるのである。
だからこういう言葉が身にしみるのだ。
『だまされる人よりも、だます人のほうが数十倍苦しいさ。地獄に落ちるのだからね。』
ただし、何か違和感を覚えないだろうか。確かにそれでそういう『弱者』の心は癒されるかもしれない。だが、人が地獄に堕ちることを願う人間に、何か違和感を覚えないだろうか。覚えない?そうか。それでは、天国に行くのはあきらめた方がいい。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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