名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
例えばソクラテスは、
『わたしは、善いことかもしれない死を、はじめから、よくわからないのに恐れて逃げることは絶対にしない。』
と言い、『死』を『悪』だと決めつけなかった。死ぬということを『悪』だと決めつけるのは、もしかしたら生きている人間の、傲慢かもしれない。
例えば、若い人間が年寄りを『クソじじい(ババア)』と見下すように、人が新築を好み、古い建造物に抵抗を覚えるように、ミーハーが流行を追い続け、それに従わないものを時代遅れと揶揄するように、人間は、常に『若くて新しいもの』に惹かれ、あるいは『生』と『健康』にすがりつき、『生き生きとしていて、輝いている』ものに魅力を感じるものだ。
だがそれは、『古くなればなるほど、死に近づけば近づくほど、価値を落とす』と、人間が勝手に決めつけているだけなのかもしれない。手塚治虫の『ブラックジャック』に出てくるドクターキリコは、ブラックジャックの陰の存在だ。『ドラゴンボール』における孫悟空とベジータのように。主役を引き立てる存在。
[手塚治虫 ブラックジャック]
『コントラストの原理』だ。主役よりも色が黒いキャラクターを存在させることで、主役の白が、より際立つ。だが、実際に『悟空』にはこういう意見もある。
というのだ。それはブラックジャックとドクターキリコにも当てはまるだろう。彼が主人公で、ブラックジャックが陰の存在だとしたら、ドクターキリコにリスペクトする人間の割合が多かったのだろうか。
私は正直、あの漫画を読んだその時(小学生)から、今に至るまで、ドクターキリコが完全な悪だと思ったことは無い。『コントラストの原理』によって確かに正義はブラックジャック側に傾いてはいたが、『時と場合によっては』ブラックジャックの正義が通用せず、ドクターキリコが正義になる場面もあったような気がする。手塚治虫は天才だから、小学生の私にもわかるように、暗にそういうメッセージを込めて描いたと思うが、もう20年見ていないので、語るのはこの辺にしておいたほうが良いだろう。
だがとにかく、『ドクターキリコがやる行為』を、『ブラックジャックがたまにやった』としたら、読者は恐らくその行為自体を、『キリコがやるよりも』、正義に傾けて、見るに違いない。そういう意味で、ドクターキリコこそが、医療の世界における『損』と『悪』の面を請け負った、本当の孤高の天才医師なのかもしれない。
もし、『自分が生にすがりつく』ことで、『残された家族が、その延命措置によって苦労を強いられる』としたら、その行為は本当に、価値があるのだろうか。私のように人一倍プライドが高く、他人に細心の注意を払い、最愛の人に、自分の介護や、見舞いによって心労をかけたくないと思う人間は、その行為を『正しい』とは断言できない。
また自分が戦場にいて、瀕死の状態で、もしかしたら助かるのかもしれないけど、それまで命を削って戦ってきて、仲間もたくさん死んで、家族にもお別れを言い、あるいは家族がもうこの世にはおらず、悔いの残らないようにたくさんの意見をしてきて、悔いの無いようにたくさんの行動をしてきたのであれば、
私は、ドクターキリコのような人間にとどめを刺してもらい、命を削って、切磋琢磨して死んだ仲間と共に、戦場で死ぬことを望むかもしれない。それをしてくれる、『背負ってくれる』ドクターキリコに、私は感謝するかもしれない。それにソクラテスの言うように、『もしかしたら、死は善いことかもしれない』。そしてダリの言うように、『命を使い切ったと思ったら、そこがその人の寿命』なのかもしれないから。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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