名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
これに関しては、カーネギーの名著、『道は開ける』でも、『自己の重要感』というテーマで、学ぶことが出来るだろう。人は、(自分の人格・立場を尊重してくれた)と思ったとき、相手を受け入れる余裕が生まれ、心にある種の落ち着きが生まれるのである。例えば、わかりやすく、両方ともキツイ言い方の例で考えた場合だ。ある夫婦がいた。そして夫が妻に言う言い方として、
と言われるよりも、
と言われた方が、『まだマシ』だという印象がある。両方とも言い方はきついのだが、だが、そこは『本音』でいきたい。男は、嘘の上に成り立つ人間関係など、本物ではないと考えている人間だからだ。
そんな中、前者はただただ全否定されているだけだが、後者は『だが他の料理は美味かった』と、あくまでも『今回の料理だけ』について厳しい意見を言っている。
これだったら、今回の料理は、本当に作り手の『怠惰』である可能性が高く、だとしたら、それに素直に反応しただけのこの男は、何も間違ったことは言っていないことになる。
自分の中でも、カレーのときと、今回のときとでは、その力の入れ方が違っているのがわかっているはずで、もし、その食べた夫が普段、仕事をして生活費を得ている環境なのであれば、料理人である妻は、料理を含めた家事を頑張ることが、責務なはずだ。
『カレーは美味い』ということは、料理の腕はあるという証拠だから、後、足りないのは努力と謙虚さである。疲れているなら外食にすればいいわけで、まずいものを無理やり食べさせ、エゴを押し付け、あるいはそれについて『美味しいね』と嘘をつき、しかし心底では(まずいな。後で口直しに外で食べよう。)と思っているような夫婦は、お世辞にもいい夫婦だとは言えない。
そんな人間関係を築きたいと思っている二人の夫婦の間では、本音を言い合うことは約束していたはずのことだった。しかし、前者の言い回しよりも、後者の言い回しの方が『麻酔』が効いていて、もし、本当に不味い料理だったときでも、後者の方が、聞き入れやすくなるのが人間の心理である。
この場合は、夫は後者の様な言い回しをし、妻は料理で手を抜かないか、疲れているなら素直にそれを言って、外食にしたい旨を伝えるべきだ。恐らくこういう夫は、不味い飯を無理矢理『美味い』と言って嘘をつき、双方が心底で嫌な思いをするのなら、外食にしてしまった方が、妻も休めるし、自分も美味いものを食べれるから、一石二鳥である、と考える合理的な人間だ。
夫とて、妻が料理のプロでないことぐらい知っている。しかし、不味い料理を『毎日食べるかもしれない可能性』がある場合、美味いものは美味い、不味いものは不味い、と言わなければ、後々そこが亀裂になって、取り返しのつかない事態に発展するかもしれないのであり、言わなければならないのだ。人間関係は十人十色だから、よく話し合いをし、『こじれる』レベルにまで発展しないように、日々、愛を確かめ合うのが正解だ。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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