名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
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考察
考える主体としての自己(精神)とその存在を定式化したこの、「我思う、ゆえに我あり」は、哲学史上でもっとも有名な命題の1つであるとされている。『方法序説』にはこうある。
結局のところ、習慣や実例のほうが、 どんな確実な知識よりも私たちを納得させているが、それにもかかわらず、少しでも発見しにくい真理については、ただ一人の人がそういう真理を見つけ出したという方が、国中の人が見つけ出したと言うより、はるかに誠らしいから、賛成の数が多いからと言って、何一つ価値のある証拠にはならない。
デカルトは『真理の探究』ということについて、目が肥えていたのである。キリストとソクラテスが冤罪で処刑されたように、賛成の数が多いからと言って、何一つ価値のある証拠にはならないのだ。そんなデカルトだからこそこんなことを考えた。
『我思う、ゆえに我あり。』
事実、コペルニクスの支持者でもあったデカルトは、『コペルニクス的転回』をしたのだ。『コペルニクス的転回』とは”発想法を根本的に変える”ことによって、物事の新しい局面が切り開かれることをいう。
(いろいろと考えることがあるが、そもそも、なぜ私は考えているのだろう。)
動物や虫や植物や惑星は、考えるだろうか。人間だけが考えるのだろうか。考えるから、人間なのだろうか。考えなければ、人間ではないのだろうか。だとしたら考えることで人は人間になり、あるいは自分が存ることになるということだろうか。
考えるから、在る。考えなければ、無い。
虚無。空虚。抜け殻。空っぽ。
物質や液体、気体の様に、名前もなけれ性別もない。差別もなければ、格差もない。そう考えると、『考える力』というのは、『善いこと』なのだろうか。それとも、『悪いこと』なのだろうか。それが無ければ、ただただ無機質で、白黒の世界で、フラットに生きていたのに。それが有るから、考えたくもない理不尽や格差や、混沌が存在するのだというのに。
ドイツの精神科医、ヤスパースがこう言った様に、
意志があるからこそ、悪が存在してしまうというのに。
だが私は思う。白黒の世界より、色鮮やかな世界の方が、
何だか楽しそうだ。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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