名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
ということであり、道教の創案者の一人、老子に言わせれば、
ということなのである。
つまり、『知っているだけ』でもダメだし、『知識を得ただけ』でもダメだ。それだけでは『知者』ではない。単なる『学者』である。学者というのは、黒魔術師の勉強を必死に行う人間にも与えられる称号で、しかし、人の呪い方を勉強している人間を、=知者としていいわけがないのである。そう考えると、書物を読み漁ることだけをしても、あまり意味がないことが浮き彫りになるわけだ。
儒教の重要人物、孟子も、
と言っている。本を読み、高い学歴を持つ人間が、カルト教団の幹部に入り、テロ行為を行って、多くの人の命を危険にさらし、彼らに障害を負わせた。彼らがやったことが『人間の矜持』なのか『悪魔の所業』なのかを冷静に考えたい。そして、『労働のみ』をひたすらに行うだけの状態も、人と言えるかどうか、一度立ち止まって考えたいのである。
トルストイはこう言い、
アリストテレスは言った。
つまり、自分の人生の舵を握り、主人となって文字通り、主体的に生きる人は、たとえ生まれた身分が奴隷であっても、彼は奴隷ではない。だが、自分の人生の舵を握ることを放棄し、舵を握ってくれる主人を探して反応的に生きる人は、たとえ生まれた身分が自由民であっても、彼は奴隷である。
彼らの意見と併せて考えた時、ひたすらに意志を放棄、あるいは移譲して労働する自分の実態は、本当に唯一無二の命を無下にしていないのだろうか。そこに人間として生まれた意味があるのかどうか、首をかしげるのではないだろうか。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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