名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
『出る杭は打たれる』的な、有能な部下に組織を乗っ取られる、ということも当然考えられるが、それは常として出ている考え方なのでここでは違う方向で考える。以前、私の部下が、勝手に当社に、
と言ってその人間の悪友の名を挙げたが、それを却下するまでにかけた時間は2秒も無かった。例えばこう考えてみればいい。
犯罪者、もしくはそれをする可能性が非常に高そうな者を雇った。彼は上司には良い顔をする。だが表裏的で、見えないところで自分より格下の人間を集めては、見栄と虚勢で自分を慰めて、その延長線上で犯罪を犯してしまった。するとその人物はどうなるだろうか。逮捕だ。企業が大きければどうなるだろうか。名前が出る。上司になった人間は、部下の一生の面倒を見るぐらいの覚悟がなければならない。それについて、
で済ませるわけにはいかないのだ。責任を取ることになる。企業としてその事件で失った信頼は大きい。彼を雇ったことで、得たものは何もないのだ。
それに、そういう表裏的な人物は、いつでも簡単に裏切るし、裏で画策する。それが『賢い』と思っているのだ。そういう自分に、酔いしれている。
『酔っ払って我を忘れた人間は、他のお客様の迷惑になるので、退店して頂く』
のである。『おそろしい』ということは、『脅威』ということ。脅威と言われて、勘違いする人間がいるが、例えばパソコンの機能を低下させる『ウイルス』も、『脅威』だ。
公明正大に考えれば、その『酔っ払った男』を見捨てることはダメだ。だが、その男のせいで、他の人間が脅威にさらされることがあっていいわけがないだろう。
それこそ公明正大ではない。
『酔いが醒めた』なら、また門を叩けばいいだけだ。とにかく『脅威』への感覚が鈍い人間は、生き延びれない。我々が、高いところに登った時恐怖し、鋭利な物を見た時にゾッとするように、脅威から身を離すことは、人間が生き延びる為に身につけた、知恵である。
もちろん秀吉がこういう考え方をしたかはわからない。ただ単に器が小さく、計算高く、出世欲が強い、傲慢な人間だからこの言葉を言ったのかもしれない。そして現代の世にも短絡的にこの言葉を解釈する人間はいるだろう。私の周りにも今挙げたような条件がそろっている人間は、よくこのような行動を取ったものだ。
しかしあれから10年以上経った今、彼らが秀吉のような偉人になっているということはない。やはり私のその時の直感通り、彼らはただ単に器が小さく、計算高く、出世欲が強い、傲慢な人間だったのだ。
『側に置いておそろしい奴は、遠くに飛ばす。』
20歳前後の頃、私は上司の言うことを全く聞かない人間だった。そもそもその上司に信憑性がない。自分のやり方を無理して曲げてもいい結果は出ない。だから何を言われても曲げずに、自分を貫いた。すると上司には、
と言われたり、
と言われたりして、さんざん叩かれたものだった。しかしその程度のことで私が自分を曲げることはない。血気盛んな職場だったから暴力も考えられたが、だとしたらこちらも同じような行動に出ればいいだけだ。そういう覚悟が備わっていた。ある日、その店の店長に呼ばれて食事会に行くと、そこにはオーナーがいてこう言った。
つまり、違う店舗に私が異動になるという話だ。だが、私はそれを受け、すぐにこう言った。
すると店長は、
と言ったが、その発言はもうどうでもよかった。私は次の店舗でも、自分のやり方を貫こうとしていた。というより、自分を曲げられないのだ。曲げて生きていくなら死んだ方がいい。いやむしろ、生きていても死んでいるのと同じだからだ。
それから数か月後、私はその店で一番売り上げを上げる人間になっていた。その店の店長は確かに強いが、しかし私と同じで、『最後の最後に手をあげるタイプ』だ。それまでは、私が一線を越えるまではなかなか手を出さないし、口も出さない。つまり私の自由にさせてくれたのだ。すると私の能力は最大限に発揮され、そういう結果が出た。ある時オーナーと食事をして売り上げの話をすると、
と言って、前の店長の評価が落ちてしまったのである。
『側に置いておそろしい奴は、遠くに飛ばす。』
この言葉をどうとらえるか。『誰が』とらえるか。それでこの言葉の意味はずいぶん変わってしまうだろう。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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