名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
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考察
アメリカの哲学者、ウィリアム・ジェームズは言う。
ということは、『射幸的(偶然に得られる利益や成功を当てにする)』な考え方ではならない、ということが見えて来る。
『笑った』のは偶然ではなく、あるいは反応的にでもなく、『主体的』に『笑いに行った』のだ。『幸せだ』と感じることが出来たのは偶然ではなく、あるいは反応的にでもなく、『主体的』に『網を張った』のだ。この手のテーマについて考えるとき私は、18歳の頃に体験した『想定外の必然的な経験』を書く事が出来る。
私はそのとき、とても『大変』な毎日を送っていた。だがその時はすでに、『そんなことは当たり前だ』という心構えにまで、心は成長していた。何しろ、自分の人生を『大きく変えたい』と思っていたのだ。『大変』とは、『大きく変わる』と書くのである。
さて、そんな中私は、ある後輩について、時には厳しい口調で、だが真実の言葉で、助言をした。彼は剣道で負けることを知らない、凄腕だったのだ。私は未経験者だったが、彼と同じ剣道の代表選手に選ばれた。
実生活とは違い、剣道の練習は過酷を極めた。鳥肌が立つほど面を打ちこみ、その後に背負い投げをされるという、まさに心身両面を鍛える、シビアなトレーニングだった。だが、彼は経験者ということもあったが、それらの練習を軽々とこなす。だが、私とは逆で、彼は実生活では、態度が粗悪なのである。それに『腹を立てた』私は、彼にこう助言したのだ。
『あなたは、なぜあんなにも過酷なトレーニングを軽々とやるくせに、実生活はだらしないのですか?正直私は、食事がのどを通らないほど運動をしたのは初めてで、とても厳しいトレーニングをしているという自負がある。あれだけのことが出来て、実生活で出来ないというのはあり得ません。』
実生活では遥かに先輩だった私の意見を、聞いてくれたかそうでないかは関係なかった。とにかく私がその当時抱えていたテーマは、『見て見ぬフリを絶対にしない』というものだった。対象は、彼だけではない。もっと問題ある人間にもそうだし、自分自身に対してもそうだったのだ。
激動の時間が過ぎた。そして、私はその生活を卒業することになった。それから1か月経ったぐらいのときだった。とある先生が私に近寄ってきて、私に向かってこう言うのだ。
私は正直、最後に名前を聞くまで誰のことを言っているのかわからなかった。そして名前を聞いたとき、確かに(なるほど)とは思ったが、しかしその程度で、私にとっては彼との思い出はそれぐらいしかなく、もっともっと激動の生活を過ごしてきた自覚があったので、ちょっと意外な話だったのだ。
彼とは深く話すことはなかった。だが、彼は心底で、先輩でもあり、剣道の同志でもあった私から言われた事を考えていて、私がいなくなった後に、言う人がいなくなったことにより、『甘えられる人』がいなくなったことで、『責任感』が爆発的に成長したのだ。
それは、『想定外の必然的な経験』だった。そうなるとは思っていなかったのだ。それを狙ったわけではなかった。しかし、必然的なことだったのだ。それはトルストイ曰く、私が『クモの巣をあらゆる方向へ投げ出した』からであり、自分が抱えるべくテーマや試練から、目を逸らさなかったから起きた現象だった。
私は、その立役者となった恩師達の偉大さを、ただただ思い知るばかりだった。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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