名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
しかし、それぞれがそう思うことをやめられないからこそ、この世から不和、確執、軋轢、衝突、対立、戦争が無くならないのである。私の周りにも、私に対して『下手に出る人』と、『高圧的に出る人』に分かれるが、当然、私との人間関係が成立するのは、前者である。私には年齢や身分など一切関係ない。もし、あまりにも権力がある人間を前にしたら、当然、それ相応の態度はとるが、しかし心の中は別次元である。
それ以外なら、例えば身内だとか、80歳だとか、老若男女、本当に関係ないから、私は身内に不和がある人間関係がいくつもある。その内、実の母親も当然その一人だったが、毎日顔を合わせなければならない、という外部要因の力も手伝って、今では、わが家の歴史上最も関係性が良くなっていると言っていい。
そもそも、彼女と私の間に不和があったのは、彼女が、私を未熟だと決めつけて(子供だから当然は当然だが)、クリスチャンになることを強要してきたことが極めて大きな要因である。これは、当然ではない。人間が全員クリスチャンになるべきだという考えは、歪曲している。
そもそも、キリスト教自体が『パウロが作った』わけで、2000年以上も経っている中で、どのように変化しているかもわからないのに、そんな曖昧なものを、漠然と『信じろ』などと言われても、自我がハッキリしていればいるほど、(無理に決まってる)と考えるのが普通だ。しかし、『その考え方は間違っている』と一方的に決めつけられたのだ。それは、トルストイの言う通り。母親が、自分が私よりも優れた見解を持っているという自負を持っているからだった。
そして当然、それは私にもあった。私も私で、『母親よりも自分の見解の方が的を射ている』という自負があった。ここで二人が衝突したのだ。これによって不和が生まれ、確執が生まれた。
しかし、およそ20年間という不和の時間を経て、私が29歳の時についに行われた話し合いの中で、最初こそ、支離滅裂な、自分の事を棚に上げて、私を一方的に揶揄する、哀れで愚かな、救いようのない立居振舞を、いつも通りに取った母親だったが、私がそれについて激昂せず、理路整然と淡々と対応し、3日、4日かけて話し合いをしていく中で、ついに母親は、
という発言をし、多様性を認めた。そして、それとなくかつて私に強いた宗教の問題を謝罪し、私の独立性を認めるようになっていった。ただし、それがあったのは、私が『四聖』に数えられる、
孔子、
ブッダ、
キリスト、
そして、世の偉人たちの言葉と向き合って内省し、
彼らの教えの本質(エッセンス)が何であるかを抽出し、それを引き合いに出しながら、圧倒的な理論で固めて、初めて実現した現実だったのである。何しろ、それをしない29年の時間の間は、私は、常に『間違った人間』という烙印を押され続けていた。しかし、(自分よりも優れているのかもしれない)と諭された刹那、自分の考えを改めだしたのである。これが決定的な事実なのだ。
そう。つまり、この話をまとめると、確かに今は、わが家の歴史上、最も母親と私との人間関係が上手くいっているのだが、しかし、これは畏怖の上に成り立つ、虚像の関係である可能性があるのだ。体を鍛えていて、知識も積み上げた、私には敵わない。そういう心が母親の心に根付いたことで、母親が、一方的に私に思想を強要することがなくなっただけ、という可能性が高いのである。
だとしたらトルストイの言う通りだ。母親は、私と共に生きることが『た易い』とは思っていない。むしろ、表層的である。これら、30年という人間関係の不和やあらゆる問題を経験して、私はこのトルストイの言葉が今、身に沁みている。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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