名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
長い長い年月をかけて、最初の『A』の形容が変わる。その人、その人の都合や、置かれていた時代、強いられた環境、様々な要因が加わって、その形容は変わっていくだろう。
悪気の有無は関係ない。情報は、歪曲するものなのである。AとBがいて、Aが真理から見て正しい行動を取っていたのに、Bが、Aを絶滅させてしまった。Bは、Aのことを『悪の集団』だったとして捏造した。
ヘンリー・デイヴィッド・ソローは言う。
『伝言ゲーム』の内容ですらあんなに信憑性のないものなのに、長い時間をかけて、その間で行われた、正確な記録も出来ない時期、あるいは、その記録を簡単に改ざん出来る中、世に伝わる歴史、真実が、本当に真実かどうかは定かではない。日本で言うなら、竹島、尖閣諸島、北方領土、拉致、これらの真相が曖昧になっていることが、その全てを物語っている。『真実がはっきりしている』のであれば、トラブルは起きないのだ。
曖昧にしておく必要があった。それで一時的に難を逃れた。しかし、その『歪み』が起きた。人々の根深いトラブルの根幹にあるのは、捏造、隠蔽される真実であることが往々にしてある。私は、良心にクリスチャンであることを強要され、それに反抗する10代を過ごした。
あるとき教会に行くことを無視すると、その晩に、父親が怒鳴り散らして無理矢理教会に行かせようとした。
私はハサミを握りしめたが、殺すまでには至らなかった。
この一行で、私がどれだけ追い詰められ、息苦しく、しかし、そこに『愛』があったかは想像にた易いはずである。
想像を絶する波乱の時間が流れ、その時間の間に、父親は亡くなった。ある日、ようやく私の心底に、ある種の生きる覚悟のようなものが据えられた時、私は母と当時の事や宗教の問題について話す機会があった。そしてその当時の私の感情を理解してもらおうと話すと、母はその事実に対し、こう言ったのだ。
…なんという愚かな現実だろうか。実の親が、自分の最愛だった亡き夫の記憶を美化し、あるいは、自分が信仰するキリストの教えが、目の前の、元不良少年の人間程度に、汚されていいわけがない、そういう風なメタメッセージが、母の言葉からは漏れていたのだ。その場には、私と母しかおらず、そして、母がその過去の真実を捏造し、隠蔽するのであれば、もはや、この世にそれを知っているのは、私しかいない。
だが、私は覚えている。あの時握った、ハサミの感触を。
10代の頃なら、私は母親に殺意を覚えただろう。こういう真実の捏造は、別にこの時が最初ではなかったのだ。私は理路整然と話を進めることが解決のカギだと判断し、一呼吸して、淡々と、論理的に、真実の上に乗せられた『蓋』を取って、明るみに出した。
母がそうした理由もわかっていた。過去を、最愛の人を、美化したい。良い思い出の様に、とっておきたい。私とあの人との間にあった愛は、かけがえのないものだ。だから、目の前の親不孝な(クリスチャンにならないような)人間に、その愛が理解できるわけがない。というような、愚かな人間としてのエゴが介入していたのである。
『真実だけでできていたなら、歴史はすばらしいものだったろうに。』
人は、何のために真実を捏造するのか。それは、自分のエゴの為、それの正当化の為である。かくのごとく、人間は愚かだ。だが、私もその、人間の一人だ。
追記:この記事から4年。母は依然と比べると私への理解がだいぶ深まったようだ。私がどれだけのことに耐え、どれほどのことを負っていて、どんな信念を抱いて生きているかということを、この4年で思い知る場面が何度もあったからだ。そして母は、『父寄り』であり『自分寄り』だった考え方を、少し私の方向に寄せることができるようになった。つまり、自分たちだけが正しいのではなく、私の方向も一理あると認めることができるようになったのだ。
人が真実を捏造する理由はなんだろうか。人が、自分の見たい景色を見たいからだ。
カエサルは言った。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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