名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
『天才の仕組み』の記事内にある『成長の仕組み』には『非才』という本についての詳細を書いた。そこにはこう書いてある。
天才の仕組みは、もう明らかになっているのだ。それはその記事、そして本を見ればすぐに理解できるだろう。
稲盛和夫は言った。
だが、稲盛和夫が言うように、その記事を見て、その本を読むという行動に出る人は、そう多くはない。たかだがそれを見るだけだ。たったそれだけのことができない。それにはもちろん私の説得者要因も関係しているだろうが、そんなことは関係ない。勘がいい人間なら、この話が的を射ているかどうかなど、すぐに理解することができる。見識があるからだ。
知識、見識、胆識というが、そのすべてがなければおよそ『天才』になどなることはできない。つまりこの話でいえば、まずここに挙げた『知識』がある。だが、それが正確かどうかを見定めるには『見識』が必要だ。そして最後に、それを実際に見て、理解し、行動に移す『胆識』がなければならない。
このすべての要素を備え持って初めて『天才』に一歩近づくことができるというわけだ。しかし、それでもまだ人々は『凡才』に甘んじることをやめないだろう。なぜなら、
からだ。『やらないほうが楽』だからだ。追求しないほうが、責任が軽いからだ。
バーナード・ショーは言った。
それを突き止めてしまうことは、例えばこういうことである。
こういうとき、人は本当にその問題を『直視』することができるだろうか。それとも、そこにある種のプレッシャーとリスクを感じて、目を逸らしてしまうだろうか。
『バカと天才がこの世に存在することは稀である。すべてが我々凡人の世界である。その中で半歩前に踏み出すことのできる勇気を持つことが大切である。』
目を逸らしてしまっても別にいい。それは人間の生き延びるために自己防衛本能だ。あらゆる生命に目を向けたって、生命というものはそうやって自己と種の保存をするために躍起になり、時には他の命を払いのけてでも生き延びようとする。
別役実も、
と言ったように、生命というものは、そもそもが精子の段階で他の精子を出し抜き、『我こそは』と言って生き延びることに躍起になり、この世に生誕するのだ。だからまずはそれでいい。そんな自分を不必要に責める必要はない。
だが同時に、『そのままでは凡人のまま』であるという決定的な事実を直視しなければならない。さっき出たパレートの法則で考えても、そういう人間は『80%』もいる。つまりそれこそがここでいう『凡人』なのである。
だとすればだ。中内功の言うように、後『半歩』だけ前に出たい。勇気ある命というものは、時に自分の本能に植えついた損得勘定を凌駕して、利他に走ることができる。私には、先ほど挙げた『目を逸らす事例』から目を逸らさずに奮闘する人間の命が、輝いて見える。見るべきなのは以下の黄金律だ。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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