名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
逆に言うと、『嘘をついても心が動じない』という人は、『人』という定義に当てはまるかどうか、首をかしげざるを得ない。そこに信念や理念があれば別だ。役者の仕事とか、助けるための良い嘘だとか、相手への愛や、意志があれば別なのだが、こと、自分本位な嘘をついても心が動じない、ということになれば、それは首をかしげざるを得ない。そこには『人』として定義づけるだけの決定的な何かが欠けている。
それが前述した、『愛』と『意志』である。
ニーチェは(私の様な)無宗教者にもわかりやすく、『神が嘘を禁じたからではない』と言ってくれているが、実際は『神=愛=真理』という図式は、極めて蓋然性が高い。
※下記の記事が、このサイトで作り上げた最高難易度の記事である。
そうなると、『嘘をつくと胸が苦しい』のであれば、それは『真理から逸れた』わけであり、『愛に背いた』わけであり、つまるところ『神は嘘を禁じた』のだ。この言葉は上の記事を見ればわかることである。
スウィフトは言った。
ニーチェもスウィフトも、『嘘をつくと気が重い』という意見で一致している。
だが、私の部下に、入社して10年『嘘をつき続けて誤魔化し、楽に逃げる』考え方が変えられない者がいる。彼は『嘘をつくと気が重い』という意味を未だに理解しない。いや、嘘をつき、それを私がすぐに暴き、そして制裁をくらわし、『誠実に生きろ』と何百回も指導していることを考えると、頭ではわかっているのかもしれない。
だが、『とっさ』になるとだめだ。彼は嘘をつき、自己防衛本能の詭弁を盾にして、いつまでも自分の責任から目を背け続ける。その方が、『楽』だからだ。しかし、それは『刹那』である。そうでなければニーチェとスウィフトの意見と対立することになる。そして彼らの意見は私の意見と同じである。そして我々のこの意見は、極めて真理に近い、磨き上げた英知である。
だが、彼にはそれが『眩しすぎる』ようだ。いつまで経ってもその光を直視することができない。人間にはこういう生き方をする者もいるのだ。私は10年間彼と向き合ってきて、そろそろそういう結論を出してしまうかもしれない。
ただ、一つだけ言えることがある。彼が持つ『闇』よりも、私が持つ『光』の方が強いということだ。確かに黒は、どんな色をも飲み込む、魔性の色である。ちょっとやそっと『白』いくらいでは、ただただ簡単に塗りつぶされてしまうだろう。だが、相手が悪い。こちとら『光』だ。光は闇をも凌駕する。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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