名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
というか、『断念していない』と思っていも、実際は断念している。学習の基本は、『覚える』ことではなく『諦める』ことだと言う。例えばオギャアと生まれて、誰かの子供という運命に従うことになる。親は選べない。その時点ですでに、断念している。
次に母国語だ。それも断念することになる。日本語を覚えることになるのなら、その他の国の言葉を覚えるのは、断念する。こんな具合に、制限がある中、有限の人生を生きる我々は、意識、無意識関係なく、結局断念しているのだ。
この事実を真正面から受け止めた時、何か吹っ切れたような感覚になれば、しめたものである。
じゃあ、この一点に集中した方が良いんだ!
という発想がよぎれば、『器用貧乏』を含めた『道の選択に迷う』ことは激減する。
あのイチローを含めた大成を成した一流たちは皆、一つの事に特化して集中し、能力を最大限に引き上げることに成功したのである。
イチローは言う。
ベッカムは言う。
ミケランジェロは言う。
まずは断念。そして集中だ。この図式を覚えたい。
『毎日少なくとも一回、なにか小さなことを断念しなければ、毎日は下手に使われ、翌日も無駄になるおそれがある。』
私は今ちょうどこのことを数年前から実践していて、自分で証明しようとしている。例えば、
などに集中していて、それをある程度の目標が達成されるまで猪突猛進に成し遂げようとしているので、『その他のこと』がおざなりになるのだ。そして私は別に全然それでいい。だが、周りからみると変人に見えることもあるだろう。何しろ、冠婚葬祭にも行かないのだ。この時点で一気にハードルが高くなる。さっきまでのことについては共感する人がいても、これはいないだろう。家族のそれでも行かないのだから。
だが私はクリスチャンの家庭で生まれ、私はそうじゃないという状況で生きてきた。墓参りもお参りもなければ、クリスマスの祝い方は他と違うし、年末年始は親はいつも家にいない。教会の知人たちとともに過ごす。これを物心がついたときからやっているのである。
そういう環境で生まれ育ったことを加味すると、私のような人格が育つのも無理はないという見解も出てくるだろう。私は他とは違う。そして別に、他と違うことはむしろ誇りであるということを知っているのである。
『翌日も無駄になる』という言葉の意味がどういう意味かわかるだろうか。私のような生き方をしている人が『人生を損している』のだろうか。それとも、その他大勢の一人として常識をひた守る人が『人生を損している』のだろうか。
どう解釈するかは自分次第だ。ただし、見るべきなのは以下の黄金律である。
ニーチェやブッダがたどり着いた境地と同じこの真理をどう受け止め、毎日の日々で『何を断念する』か。熟考するべきである。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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