名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
ニーチェはこうも言う。
キリストは、
『あなたの敵を愛しなさい。』
と言い、いや確かにその博愛精神は、人として最も高潔な姿だ。マザー・テレサもこう言っている。
愛の力は、甚大だ。小さな愛が、大きな愛となり、この虚無な人生に一片の光を当てる。だが、罪のない自分の子供を無残に殺されたとき、それでもその相手を愛することが出来るだろうか。もちろん、愛さなければ(赦さなければ)ならない。だが、赦される罪と、許されない罪があるのだ。
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例えば我々は、廃棄物や排泄物、あるいは人間に害を与える害虫や、毒を持った生き物などと一緒に生きていくことができるだろうか。なぜそれができないのだろうか。人間は、公明正大に物事を考える使命を背負っているはずだ。それをしないから人間本位の発想が生まれ、環境が破壊され、それによって苦しむ未来が想像できるのだ。
しかし、それらの『見たくないもの』は見ないようにしている。動物の肉を食べるときは、調理された『美味しそうなもの』であり、その動物を殺すシーンや映像は、見て見ぬふりをしている。見たくないからだ。かわいそうだからだ。
だが、いざ食卓に並べば『美味しい』と言って騒ぎ立てる。何とも滑稽で、愚かな姿である。イヌイットなどの特定の民族は、今でも自分たちで狩りをして動物を捕まえ、その命を血一滴残さないように食べつくす。命に感謝して、命を食らうのだ。彼らのような生き方は、ちゃんとある。
利便性が発達した先進国では、好きなものがいつでも、好きなだけ食べられる。しかし、その利便性と同時に失ったものは大きく、人間に思い上がりと過信の気持ちを植え付けさせてしまった。
人間はもっと慎重に、厳かにこの世を生きていくことができる。川で暮らす動物の周りに小鳥や虫たちが飛んでいるように、元々は人間のそばにも、そういう多様性があった。しかし、今ではそれらと人間とをはっきりと区別し、人間だけが絶対的な地位を保つようになった。
メリットもある。それは今言った利便性の充実や、医療問題などもそうである。例えば、少数民族の中には大自然の中で暮らす『人間らしい生き方』をするところがあるが、しかし彼らは動物の猛毒に侵されると、治療の手段がないから隣町で薬の調達ができなければ、そのまま息絶えてしまう。若くして命を落とすことがある。だが、都会で暮らす人々にそういうリスクはほとんどない。そういうことはある。
だが、『では長く生きられればそれでいいのか』という問題が浮上する。動物や昆虫だって、若くして命を落とすことはまれではない。この世を生きる生命は、最初から『長く生きるため』に生きているわけではない。『生きる』ために生きているのだ。
ルソーは言った。
『生きる』とはなんだろうか。『生きながらえる』ことだろうか。『私利私欲をなるべく多く満たす』ことだろうか。
『愛せなければ通過せよ。』
我々は、今日も明日も『見たくないもの』を見て見ぬふりをし、心身の健康を第一に生きていく。それがいいのか悪いのかはわからない。だが、一つだけ言えるのは、こんなことを考えているのは人間だけだということだ。
ニーチェはこうも言った。
心があるゆえに人生を葛藤する人間。我々はそれなりに苦しんでいて、そして必死に生きている。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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