名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
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考察
この言葉を創った人間として私は、このことを大にして言いたい。時間の無駄どころの話ではない。周りの人間の足を引っ張ることを考えたら、悲観はほとんど『罪』である。
アメリカ合衆国建国の父、ベンジャミン・フランクリンは言う。
自分だけが世の中を生きていると思ったり、あるいは人生がいつまでも続くはずだと思い込んだりして、それについて思い通りにならないから、悲観しているだけだ。全くのナルシスト&エゴイストである。そんな時間があるくらいなら、人の為に何でもいいから出来ることを考えるべきである。『慰め』が嫌いな私からの『戒め』は以上だ。
だが、ホイットマンにこの言葉を伝えよう。
私はこの言葉に随分力づけられた。見るべきなの以下の黄金律だ。
今、ついつい悲観視してしまう逆境や窮地に陥っていたとしても、屈することはない。むしろ今、普段では得られないことを得られる、絶好のチャンスなのである。例えばこの先進国で生きる裕福な人間ならもう、砂漠あたりで遭難しなければ、水道の水を飲めることがどれほど幸せなことかわからないだろう。
『悲観することは時間の浪費だ。』
つまりそれは、下記の黄金律を見たときに浮き彫りになる事実である。
状況を悲観視するということは、そこにいるのは『窮地を悲劇と解釈するヒーロー・ヒロイン』である。しかし、『足るを知る者は富む』という真理がある以上、生きているだけで丸儲けなのである。それなのに悲観視をする。それで本当に自分の命の尊さを理解していると言えるだろうか。悲観視が浪費であるということの意味を、一度立ち止まってじっくりと考えるべきである。
ナチスの強制収容所に収監され、人間の想像を絶する3年間を過ごしたドイツの心理学者、ヴィクトール・E・フランクルの著書、『夜と霧』にはこうある。
そのとき、ある思いがわたしを貫いた。何人もの思想家がその生涯の果てに辿り着いた真実、何人もの詩人がうたいあげいた真実が、生まれて初めて骨身に染みたのだ。愛は人が人として到達できる究極にして最高のものだ、という真実。
今私は、人間が詩や思想や信仰を通じて表明すべきこととしてきた、究極にして最高のことの意味を会得した。愛により、愛のなかへと救われること!人は、この世にもはやなにも残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、わたしは理解したのだ。
(中略)ほどなく、わたしたちは壕の中にいた。きのうもそこにいた。凍てついた地面につるはしの先から火花が散った。頭はまだぼうっとしており、仲間は押し黙ったままだ。私の魂はまだ愛する妻の面影にすがっていた。まだ妻との語らいを続けていた。そのとき、あることに思い至った。妻がまだ生きているかどうか、まったくわからないではないか!
そして私は知り、学んだのだ。愛は生身の人間の存在とはほとんど関係なく、愛する妻の精神的な存在、つまり(哲学者のいう)『本質』に深くかかわっている、ということを。愛する妻の『現存』、わたしとともにあること、肉体が存在すること、生きてあることは、まったく問題の外なのだ。
人類史上、もっとも劣悪な環境を強いられた強制収容所で暮らした人間の言葉に、注意深く、極めて注意深く、耳を傾けよ。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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