名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
山本五十六は、
私はこれに、『逆らった』。つまり、この五十六のやり方を無視したのだ。
(それはお前のやり方だろ。お前は別に神じゃない。)
とまあ、こういう風に捉えたのである。というか、『神』だったとしても私は逆らった。それは私が両親にクリスチャンであることを強要されたという、環境も大きく影響しているだろう。例えば部下には、こういう風な考え方で教育した。
お前が自分でやれ。お前が自分でやったことは全て自分の手柄だ。俺が出ると、その手柄を俺が貰うことになる。あるいはマージンが発生する。それは当たり前のことだ。自分を成長させて、高い報酬も得て、それを支配してやっていくためには、いずれにせよ自主、自立、責任をスローガンに抱えてやっていくしかない。どの道お前らがやったことは、会社の利益になる。だから俺がやる必要はない。俺は偽善者じゃないから『お前らの為』とだけを言わない。『会社の為』にもなるのだ。だから自分の責任で全てをやれ。
だがどうだ。一人の部下はそれで仕事がスムーズに行きかけ、さも自分がその仕事を進めてるんだから全部俺に手柄があるかのように思い上がった態度を取り、ナメくさった態度や主導権を奪おうとする態度、遅刻などが目立ち、ひいては会社を退社する事態となった。
またある一人の部下も同じように自分の仕事に対し、社長である私に(どうせお前は出来ないよ。お前は何もやってないだろ。)という様な見方をするようになり、またまたナメくさった態度を取った。そして二人とも、私が本気で怒った途端に、まずは表層的な態度を改め、そして二人とも、私が自分でその仕事をやってみせ、そいつらよりもスムーズに、効率的に仕事を展開させると、ぐうの音も出なくなった。
全くもって山本五十六の言う通りだったと、身に沁みて実感したのだ。バルザックの今回の言葉も、同じことである。私は『人間』を信用してしまったのだ。『人物』を信用するにとどめなければならなかった。
『上司の権威をつけるための最良の方法は、部下が困っている仕事を解決してやることである。』
バルザックも同じようにこのことについて理解していたようだ。私は正直、今でもこのような行為にある種の軽薄さを覚える。それはきっと、『権威の為に』とう枕詞があるからそう思うのだろう。動機が不純である。権威を勝ち取るために勝負に躍起になる。これは私がこの半生で最もけぎらっていたことの一つだ。その理由は私の父が、私が幼少期の頃、『自分の権威』のために私を従兄弟と兄弟3人の前でいきなり投げ飛ばし、私に『痛い思い』をさせ、辱めた記憶が、そうさせているのだろう。
いつもは優しい父だったが、見栄と虚勢に支配されたその時の父親は、子供の私から見たとき人間には見えなかった。『痛い思い』をする覚悟など全くしていなかった私にとって、その出来事はあまりにも理不尽だったのだ。
だから私は動機が自分本位なものであれば、そこにあるのは軽薄さだと思って生きてきた。しかし、誇示と主張が違い、チャンスは待っていてもこず、自分から掴むものであるように、人生においては打たれる覚悟で前に出て、祟りに遭う覚悟で勇気をもって触り、主体性を発揮しなければならないときがある。人が愚かで、表層しか見ず、理解できないものを低く見積もる現実がある以上、その現実を直視し、それに見合った行動をとらなければならないときがあるのだ。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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