名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
アリストテレスは言った。
彼らが口を揃える『自分に勝つ』ということは、私の人生にとっても極めて重要なテーマである。いや、甚大だと言っていい。『最も』という言葉も使っていいぐらいだ。更に厳密に言えば、自分には『打ち克つ』と書くのが正しい。『克己心』だ。それと同じ意味だ。正直、これが出来たのならもう人間は、それ以上、上に行くことは出来ない。
18歳の時にやった剣道を通してこの克己心について真剣に考えて以来、13年経った今でも気持ちは変わることは無い。それが備わった人間の姿は、人間の最高到達地点だ。
勝って兜の緒を締めることはもちろん、勝って奢らず、負けて腐らないことももちろん、ショーペン・ハウエルが言うように、
ドストエフスキーが言うように、
毎日が試練であり、自分との闘い。自分の一生で毎日の様にやってくる、自分が自分で在ることを邪魔する一切の『力』に対し、決して屈さず、命を貫き通す。この世に『成功者』なる者がいるとするならば、これが出来た人間こそが、本当の成功者だ。
例えば、私の部下はこのことを教えてもこれができない。もう入社して10年が経ったのに、その間、腐るほど言い続け、時には殴り、制裁を課し、待ってもみて、アメとムチを再三再四、幾度となく使いこなしても、これを身につけることができない。
克己心というのはそれほど身につけるのが難しいのだ。また違う部下は私の厳しい目線に耐え切れなくなり、会社を辞めてしまった。『じゃあ俺が緩めればいいんだな?』と言うと、そのプレッシャーに負け、それに対して言い返すこともできず、また、かといって『じゃあ頑張ります』と言うこともできず、その突きつけられた大きな試練から目を逸らす道を選択したのだ。
彼は遅刻もしていて、言い訳もした。嘘もよくついたし、見栄と虚勢に支配されていた。表裏的であり、慇懃無礼。表で何を言っても裏でやってることのことを考えたら、決して心から誇りに思えるような生き方をしていなかった。
私はただ、その真実を真正面から直視しただけだ。そしてそれを、鏡のように正確に、本人に伝え、正当に評価しただけだ。もし私の口から高い評価を聞きたいのであれば、実際にそういう行動をすればいいだけだ。それをしないのに私の口からシビアな評価を聞きたくないというのは、言語道断である。不正行為だ。癒着の強要である。
私はそういう越権行為はしない。特権の乱用もしない。彼は自分に打ち克ち、その問題を克服し、王道を歩いて人生を堂々と生きていく選択肢よりも、そこから目を逸らし、見て見ぬふりをし、諦め、自分に嘘をつきながら生きながらえる選択肢を選んだ。
『自分に打ち勝つことが、最も偉大な勝利である。』
この戦いをイスラム教では『聖戦』と呼ぶ。聖戦とは、一部の狂信者が行っているような人殺しのことではない。人生を生きていて、真理から王道を歩くことを突きつけられた時、そこから目を逸らして楽に生きようと思う『魔性(ませい)』が人の心にはある。
例えば寝坊だ。あと1時間寝たい。だが、それをしたら遅刻となり、会社の人や取引先、様々な人に迷惑をかける。だから起きなければならない。その時、自分の中の『聖性』と『魔性』が戦いをする。聖性が魔性を打ち負かしたとき、人はその睡魔を克服することができる。そこにあった戦いこそが、聖戦なのである。
ダンテは言った。
毎日が自分との戦いだ。その使命を本当に理解したとき、はじめて人間はこの人生に地に足を付けた立つことができる。悔いのない人生を生きたいなら、聖戦に勝ち続けるしかない。『しかない』ではない。『そうすればほがらかに死ねる』と前向きに考え、それすらも人生の醍醐味としてとらえることができた人が、自分に打ち克った人の称号にふさわしいのである。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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