名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
しかし、純粋な心を持った赤ん坊が作ったスープは、必ずしもうまいとは限らない。むしろ不味いことの方が多い。だが、もちろんその親がそれを食べたら、また別次元の格別な経験となるだろうが、そうじゃなく、味として考えた時、それは不味い。どう考えたってそうだ。だが、この言葉が指す意味はそうではなく、違う意味なのだとしたらどうだろうか。例えば、私の母親が作った食事は以前、不味かった。しかし、『不味い』ことを伝えてから、美味くなった。
だがもちろん、最初はそれについて、衝突することになった。
と怒鳴ってきたわけだ。しかし、
等、その様な理論をいくつもいくつも並べ立てて、
というふうに、別に作る料理が全て不味いわけではないことを理解させた。なぜ母親は、最初から『美味い料理を作る努力』をせず、不味いと本音を言った私のことを、揶揄して諭すような行動を取ったのだろうか。それは、彼女の心が、純粋ではないからである。
その正当性を理解するためには、この話をする必要がある。ある日私が10年ぶりに実家に帰り、風呂に入って寝ようとすると、ドアを開けたら、半裸の私の前に、ブンブン飛び回っている黒い虫がいた。
とっさにそう言った私の行動は、何一つ間違っていない。問題なのは、その虫がなんであるかということだった。最悪なことに、その予想は的中した。あの『人間の天敵』だったのである。私は、その虫が大嫌いで、実家に帰るまでの一人暮らしでは、一匹たりともでないように、部屋の掃除や生ごみの対策を怠らなかった。その天敵が、まさか、目の前をグルグルと音を立てて飛び回っているとは、予想することは出来なかった。
お化け屋敷にも似た私の声で母親が部屋から出て来た。その時、眉間にしわを寄せて、怪訝な顔をし、私に言った一言が、これだ。
これは、まだ母親が私のことを大きく誤解していたときの話だ。
つまりこういうことだ。なぜ母親は、自分がゴキブリを出してしまったこと、そういう衛生環境にしてしまっていたことを謝罪する、という選択肢を選ばずに、10年ぶりにゴキブリを見て、驚いた声をあげた私を否定するような選択肢を選んでしまったのだろうか。母親にはいつだって選択肢があった。しかし、その中で母親は、クリスチャンになることを選び、私にそれを強要し、そしてそれを拒絶する私を『反抗期』として片づけて、言うことを聞かないろくでなしだという、レッテルを貼りつけた。
母親はいつだって、自分に非があるのではなく、私も含めた、周りに非があると考えるような人間であり、しかし自分はクリスチャンだから、高潔なのだ、ということを自覚しているような、傲慢不遜な人間だった。そのパラダイム(価値観、考え方)が根付いているからこそ、その虫の件も、料理の件も、非が自分にあるのではなく、相手にあるのだという発想をしたのだ。
しかし母親は、私との真面目な話し合いの末、私のことをそれまで29年見てきて、10%ほどしかその実態を理解していなかった事実を理解すると、次第に態度を改め、矛先を自分に向けることが出来るようになった。
つまり、耐え、忍び、苦しんできたのは自分だけではなく、私とて、それは全く同じだった。いや、それ以上の苦しみを負っている可能性があることを知った時、自分の中に植えついた被害者意識が薄れ、自分本位の言動を恥じ、悔い改め、そして料理の味や、衛生管理の責任が、自分にあることを認め始めたのだ。
普通、料理というものは、レシピ通りにすれば大体美味い。だが、母親の場合、いくらこっちがレシピを用意しても、その通りにすることが出来ない。そこに彼女なりのこだわりがあるのか、しかしそこにあるのはどちらにせよエゴである。美味しいスープのレシピ通りに作れば、往々にしてそのスープは美味しくなる。しかし、それをその通りに出来ない、素直じゃない人間がいるのだ。私は、ベートーヴェンの言葉を通して、心と料理の味がつながっていることを、難なく理解した。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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