名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
フランスの小説家、ブールジュは言った。
ブールジュの言葉が本当なら、『考えた通りに生きれる』わけで、だとしたらヘミングウェイの言葉は間違っていることになる。『生きなくても書ける』からだ。しかし、本当にこの解釈は正しいだろうか。例えばまず、『考えた通りに生きる』ということについてだが、恐らくこれは、計画的な人生を推進しているだけだ。
その逆で、無計画で無鉄砲な思慮浅い生き方は、後悔を招く結果になる。そこに警鐘を鳴らしているのだ。『予言』は出来ないが、『計画』は出来る。このニュアンスの違いが重要である。
ということはヘミングウェイの、『書きたいなら生きろ』ということもまた、違う解釈方法がある。例えば、電車に乗ったことが無い人、フィギュアもプラモデルも見たことが無いし、アニメでもドラマでも見たことが無いという人。そういう人が、『電車を描く』となると、もう、想像上だけで書く以外には方法はない。
そこに現れる電車の様相は、ほぼ間違いなく、的を外しているだろう。別に、それでいいなら、それでもいい。自己満足かつ文句を言わないなら、的を外そうが、無鉄砲に思慮浅く生きようが、それで構わない。
だが、その電車の絵を人に見せて評価してもらいたいとか、後悔したくないとか、そういう『我(エゴ)』が少しでもそこに介入するのであれば、やはりそこには『慎重さ』と『勤勉さ』と、『実態の把握』をすることが必要不可欠である。
もちろん、そういう切り口で望めば逆に独創的になり、他にない発想が生み出されるから差別化となり、競争優位性を得られるメリットはあるかもしれない。だが、場合によってはそれはデメリットとなる。特にこの『人生を書く』ということなのであればなおさらだ。
例えば、フランスの初代大統領、シャルル・ド・ゴールはこう言った。
私は17歳でこの言葉に出会ったが、最初、この言葉の意味を理解できなかった。つまり、その時期にこの言葉について書いたり、人に話をしたりすることはできなかったのだ。全く見当はずれのことしかできなかっただろう。
同じように、人生を生きているといつか必ず『わからなかったこと』がわかるようになってくる。親の気持ちもそうだし、人の上に立つ気持ちもそうだし、迷惑をかけられる人の気持ちもそうだ。人としての視野と器が広がっていき、見えなかった景色が見えるようになってくる。やはり、山の麓でその山やあたりの景色について語るより、全てを見下ろせる山頂に着いてからあれこれと語った方がいい。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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