名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
『孫子の兵法』にある『風林火山』だ人はいつでも、『火』で行けるわけではない。私は猪突猛進タイプで、一度決めたらやり遂げるまで何も見えなくなる。というか、見る必要はないと思っているのだ。人生を生きていて、どうせ死ぬ中で、そこまで夢中になれるものを見つけているだけで、かつて虚無時代を過ごした私にとっては、それで十分。
虚しく、儚く、そんな人生について憂い、嘆き、悲劇のヒーローを気取っていたあの頃に比べれば、充実している。うんと生きがいを覚えているから、それに集中できている。それに、物事は何でも、特化して集中できない人間は中途半端な結果しか出せない。中途半端な結果しか出せず、中途半端な人間の烙印を押されることは、本意ではない。
宮崎駿も、
と言っているが、卓越した結果を出す為には、当然群を抜く行動を取る必要があり、『群』に調子を合わせている人間は、文字通り、『群を抜く』ことは出来ないのだ。そんな様々な要因も相まって、私は猪突猛進のスタイルをやめないし、止める必要が無いと確信している。
だが、そんな私でも『火』のモードで永久に突っ走れるわけではない。例えば事故や病気だ。そうなってしまったら、なってしまったのだ。その間に出来ることは限られる。あるいは、その後も限られた人生しか送れないこともある。両手足を失うこともあれば、視力聴力を失うこともある。
しかし、ヘレン・ケラーが、
と言っている様に、それはそれで一つの人生なのだ、と、受け止める心の覚悟が欲しい。 そうすればヘミングウェイの言葉も理解できるようになる。
追記:正直に言って、今私は『山』の時期である。それがしばらく続いている。病気の部下を抱えているということを考えれば、10年は山としてそこに停滞している。
当社が全力の『火』のモードになるのがいつか、ふと考えてみる。だが、実際にはこの『山』に徹している時期も、同じぐらいのエネルギーを消費していることがわかる。何なら『火』のときは、ひたすらに攻めるだけだから楽だと思うことさえある。風林火山、そのすべてのモードは等しく、同じだけのエネルギーを使うのだ。
『釣れないときは、魚が考える時間を与えてくれたと思えばいい。』
釣りとは、『魚が釣れたその瞬間』だけのことを言うのではない。装備を準備して、ときには船に乗り、釣り仲間と話し合い、釣った魚を食べ、楽しい思い出にする。このすべての流れが『釣り』なのだ。人生も同じだ。山あり谷あり。そして、谷にいるときも、『山』に徹して足踏みしているときも、同じだけのエネルギーを消費する、人生のワンシーンなのだ。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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