名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
『返報性の原理』とは、優しくされたことのお返しをしたい、と考える人の特性を指し示したものである。優しくされたら、それを無下にするわけにはいかない。例えば、赤ん坊が無邪気な心で、自分にヨチヨチと歩いてきて、自分が大切にしているおもちゃを渡して来たらどう思うだろうか。まずほとんどの人間は、その思いを無下にしようとは思わないだろう。
その原理を利用した戦略の話は別にして、まず、どう考えたって自分の事しか考えていない人間よりも、人の為に尽くしている人間に対する忠誠心の方が強くなる。何しろ前者は、『自分の事を常に気にかけている』。従って周りは、思うのだ。
(どうせ俺が(私が)気にかけなくても、自分で自分を慰めるんでしょ)
私の部下にも『THE・自分本位』の様な人間が居るが、彼が誰かにタコ殴りにされても、私は一切助けようとは思わない。それだと相手の思うつぼではないか。自分は放っておいても誰かに助けてもらえる星に生まれた人間だ、という奴のシナリオ通りに事が運んでしまうではないか。
断じてそれはない。それを教えることが教育である。
『私が自分だけのために働いているときには、自分だけしか私のために働かなかった。しかし、わたしが人のために働くようになってからは、人も私のために働いてくれたのだ。』
確かにそれはそうだ。だが、私は『この部下の為に』彼をスパルタ教育している。この時代、『スパルタ教育』と聞いただけでおじけづく人がいるだろう。その陰にちらつくのは、『虐待』の二文字である。だが、『300(スリーハンドレッド)』を観れば理解するだろう。スパルタ軍という誇り高き人々が、どのようにして活躍したのかということを。
彼らは『自分たちの為に』自分たちを殴り合って鍛えた。つまりベンジャミン・フランクリンの言うように、『自分だけの為に』殴っているわけじゃなかったのだ。虐待ではなかった。
『スパルタ教育』と言っているだろう。『スパルタ虐待』などとは言っていないのである。だが、多くの人間がその境目を理解できずに、気が付いたら虐待をしてしまっているのである。『スパルタ教育』をするためには、愛がなければならない。誇りがなければならない。高い規範意識と、高い志と、人目を一切気にしない、真の勇気がなければならない。
もし、それらを本当に備え持っているのであれば、どんなに厳しい指導をしても、相手がそれを『虐待』だと感じることはないだろう。感じてしまうのであれば、それはそれらの要素が足りないというだけだ。私もその部下『10年』の間に何度も殴っているし、頭を蹴り飛ばしているが、彼はまだ五体満足であり、骨の一つも折ってない。多少の傷はできたとしても治ったし、男なら傷の一つや二つ、勲章にすぎない。
私は彼と日本の世界遺産、日本三景を全て見て回り、富士登山も一緒にやった。たくさん銭湯に行き、食事をし、のどがちぎれるほど話をしてきた。彼は『吃音症、自閉症、被害者意識』というキーワードに大きく関係する人生をおくっているため、なかなか結果は出ない。だが、諦めたらそこですべてが終わりだ。これからも私はお互いの命がある限り、愛と誇りをもってエネルギーをぶつけ合うだけである。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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