名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
ここに見え隠れするのは『自己の重要感』という概念だ。相手が、『自分が重要だと認識しているかどうか』を確かめたい。それが自己の重要感という欲求である。頭ごなしに、決めてかかって、偉そうに意見を言うと、相手は自己の重要感を感じるだろうか。それとも、『自分の意見をないがしろにする敵』だと睨むだろうか。そう考えると、なるほどベンジャミン・フランクリンの言葉の意味が、見えて来るのだ。何しろ窮鼠も、猫を噛むのである。
ただもちろんこれはケースバイケースだ。私は、自分の意見を控えめに言っている頃と強く主張している頃を比較すると、明らかに後者の時代の方が『自分らしく』生きることが出来ている。前者のような生き方をしているとき、確かに人の事故の重要感は満たされていたようだ。しかし、『満たされすぎて』、彼らの高慢さが垣間見えるようになった。まるで、ウイルスに餌を与えて増幅させてしまったイメージである。
私はそれ以来、自分の意見は『ハッキリ』と言うようになった。その意見によって相手がどう思おうが、永久な不仲になろうが関係ない。自分という唯一無二の命を、真理に則って追求した中でそういうことが起きたのなら、それは決して避けてはならない宿命だからである。わかりやすい事例が以下の記事に書いた祖母との件だ。
これを見れば『控えめに意見を言う』と人間関係がどうなるのかということが、よくわかるだろう。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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