名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
新しいもの。それを生み出すためには当然、『新しい要素』を取り入れる必要がある。色の配合でも同じことだ。違う色の配合をしなければ、『見たことが無い色』は生まれない。しかし人は『しがみつく』ものである。
JALこと日本航空が破綻したとき、その再建を担うことになった経営の神、稲盛和夫は、JALの大企業病と、傲慢不遜に陥った幹部連中の態度にカツを入れた。
彼らが思うところはいろいろあっただろう。
(外部の人間に何がわかる)
とか、
(これで成功されたら自分たちのメンツが丸潰れ。無能さが露呈してしまう。)
とか。しかし『事実』はどうなのだ。それから目を逸らした結果が、『破綻』という紛れもない悲劇なのである。それではまるで、船に乗せるだけ人を乗せておいて、ピンチになったら自分たちだけトンズラする、豪華客船の船長か何かに似ている。『執着』は醜い。仏教の教えでも、最も罪深いものはこの『執着』である。古く重くなった足枷から解放され、新しい命を吹き込むためには、終着を捨てなければならない。
『自分たちが最高だと思ってやっていることを真っ向から否定しないと、新しいものは生まれてこない。』
私は頑固な人間である。しかし、頑固と『頑迷』は違うことを知っていて、常々後者にならないように気を使っているつもりである。頑固であるのはいい。そうでなければどうして未踏未達の道を開拓できるのか。だが、頑迷は違う。柔軟性がない。この世の真理は、諸行無常だ。流動変化している。その世の中を生きていくのに、頑迷なのは賢明ではない。『不易流行』だ。自分の生き方を変えても、自分の芯の芯が不変なのであれば、それは頑固さを守り、頑迷さを捨てた、勇気ある賢者である。
私は10年間、吃音症の部下と一緒にいて、何もしゃべらない彼との人間関係を当たり前のものにしてきた。話の9割9分を私が話す。最初こそ相手が喋る番で黙り込むことに激高したが、いつの日からか私が話さなければもう無理だと思い、そのような関係性が出来上がった。
そんな生活に慣れたある日、私は久しぶりにまともな人間と話をすることになった。私は、相手が『年下』であり『女性』であるという事実や、今までの自分の慣れから、私が一方的にその女性に話を淡々としていく接し方をしてしまった。しかし、以外にも芯のしっかりした女性で、自分の意見を持っていて、私は少し面食らってしまった。『相手が黙り込み、自分の意見を素直に聞く』のが当たり前の環境に慣れすぎてしまっていた私は、その会話の中、自分の無力さを思い知ったのである。その事実を隠蔽し、あるいは逃げることもできた。しかし、それをしたら自分の価値はどれだけ引き下がるか。それを知っていた私はその会話の後、私のその無礼な態度を謝罪するメールを打った。
『自分たちが最高だと思ってやっていることを真っ向から否定しないと、新しいものは生まれてこない。』
自分はそれでいいと思っていた。それが賢くて、格好よく、上に立つ人間の立ち居振る舞いだと思っていた。『四聖』に数えられる、
孔子、
ブッダ、
キリスト、
世の偉人たちと向き合って、
自信もついているから、余計に自分の道は、正しいのだと思っていた。だが、世の中には色々な人がいる。ここに挙げた偉人のことなど何も興味がないという人もいるのだ。その人はそういう人だった。変わった趣味も持っている人だった。私は、彼女の人生を隠蔽し、自分の見据えた道を生きていく選択肢もあった。だが、私はそういう小さな人間になりたくなかった。目の前に確かにそういう人間がいるのに、それを『人間ではない者』だと決めつけ、排他的に生きていくことは、真理ではないと悟ったのだ。
おかげで恥をかいた。頭を下げることになった。しかし、
『目は高く、頭は低く、心は広く。』
このふんぞり返った自分の頭を低くするために、この人との出来事は、必要不可欠だったのだ。傲慢不遜に陥りやすい私は、この言葉を胸に秘め、頑迷さを捨て、頑固に生きていかなければならない。その心構えだけが、自分を高みへと連れていってくれるのだ。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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