名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
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考察
ブッダの言葉の超訳として書いた、
この記事。あるいは、幕末最大の知識人、佐久間象山の言葉。
また、孔子は言う。
『失敗したときは、即改めよ』(超訳)
負けるのが怖くて『勝ち逃げ』に依存し、勝てる勝負しかしないのは、狭い範囲では『賢い』と思われることもある。だが、無様だ。ファーストリテイリング(ユニクロ)社長、柳井正に言わせてみれば『一勝九敗』。
柳井正がユニクロという勝利を勝ち取るまでには実に多くの失敗の積み重ねが無ければあり得なかった。
ということなのである。ただし、
『君子の心は思い直しができるもの。』
と言ってしまうと、残念ながらもうほとんどの人がこの『君子』に当てはまらないので、避難・罵倒してばかりで人生が終わってしまう。私はこのサイトを作っていて思うが、必ず偉人らの言う『模範例』の対極にいる人間がすぐに頭に浮かびあがり、しかもそれは自分の家族や部下等、すぐ近くにいる者で事足りるので、正直それらの人間の避難をしてばかりいる。
私は自分のことを棚に上げていない。きちんと正当に評価している。それはこのサイトをくまなく見ている人なら必ずわかることである。私に対する評価で、『これ以上自制的な人を見たことがない。』というものがあったが、ありがたいこと、しかしそれは私自身、腑に落ちることである。うぬぼれているつもりはない。
私はその『境界線』ははっきり見えている。幼少のころ、父親に理不尽に投げ飛ばされ、それ以来その一件を一度も謝罪されたことがないということから、私のこの問題に対する見識は人一倍高い。
あの時父が、私に対して謝罪していたのであれば、私はもっと父のことを尊敬し、父は今も生きていたかもしれない。父は肝臓がんを患って私が17歳の時に死んだが、葬式のパンフレットには、
『10年来の信頼していた経理の人間の急死と、次男の根が深い非行が重なって…』
という自身が病気に陥った原因について語っていた。つまり、もしそれが本当なら、私と父親の関係性がもっと良好であれば、精神的なダメージが低く、病死することはなかったのかもしれない。
しかし、そもそもなぜ父は6歳やそこらの私を理不尽に投げ飛ばし、その後にそれを謝罪しなかったのだ。それは私が記憶をたどって分析するに、私とそのほかの兄弟・従兄弟を含めた4人の前で、自分の威厳を示したかったからに他ならない。
『痛さに対する覚悟』が持てていなかったあの頃、私が泣きながら父にとっさに言ったのはこうだった。
確かにその言葉は悪いかもしれない。だが、その後に私に父親は、
と更に私を力づくで従わせたことは、私の心を大きく歪めさせた。
私はあれ以来、その『境界線』がはっきり見えるようになった。自分が悪いことをしたとき、人は誤魔化すか、すぐにそれを認めて謝罪するかの二択に分かれる。
しかし、この鍛えられた私の見識でもって周囲の人間を見ていると、もはやホメーロスの言う『君子』など、まず見つけることは容易ではない。そう考えると、父親に対して、私は求めすぎたのかもしれない。人間というものは、そもそも自分の過ちを認めることができない、愚かな生き物なのかもしれない。だが、それらすべてを踏まえたうえでも、私は『君子』になりたい。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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