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考察
ドイツの諺にこういうものがある。
この言葉はまさにホラティウスの言葉と同じ的を射ている。また、
孔子は言う。
『虐待されようと、強奪されようと、忘れてしまえばどうということはない。』
この言葉もまた、ホラティウスの言葉やドイツの諺と同じ的を射ている。では、
ブッダならどうだ。
ブッダの言葉の超訳として書いた、
この記事だ。何しろブッダの罪の定義は『執着』である。執着さえなければ、その苦労や抑うつ、困難や絶望はない。執着が『愛着』に変わるまで、一度考え方の転換を図ってみてはどうだろう。
例えば、ブッダの教えにこういうものがある。
全ては流動変化していることを示唆した、ブッダの言葉である。この世の真理を諭した、真の言葉だ。
時間は流れ、宇宙はうごめき、命の火は消え、物質は分かれる。風は吹き荒れ、大地は鳴り響き、海は揺らいで、炎は燃え盛る。
『最初からそうなっている』という事実を知れば、人生に対するあらゆる執着や未練が消えるものである。
例えば、ブッダよりも1700年年下である、仏教の宗派『曹洞宗』を作った道元の一生を描いた映画『禅 ZEN』を観れば、更にこの意味が見えるようになる。藤原竜也が演じた北条時頼は、当時、戦を指揮していて、結果的に大勢の命を奪うことになり、それについて悩まされていた。生首の姿の生霊が自分の周りを飛び回る幻覚に襲われ、気が狂う寸前だったのだ。
そんな時、山寺で修行していた道元が呼び出された。彼を救ってほしいというのだ。道元は、世俗から身を離して修行をしている身。普通ならそれを断るが、何かと世話になった仲介人のためにと、命を落とす覚悟で、戦の中心である北条がいる下界へと向かう。
北条は、道元に救いを求めた。道元はそれについて、的確な助言をした。
『ばんかんの経典を読み、呪文を唱え、仏の名を念じても、釈尊の教えを得ることはできません。只管打坐(しかんたざ)。ただひたすら座ります。あるがままの真実を観ることこそ悟りなのです。』
しかし、北条は道元の言うことが理解できない。そういう精神的な話ではなく、もっと単純に、ぱっと治療して治るような、そういう短絡的な発想を持っていた北条は、道元の話が『お説教』のように聞こえ、自身がそこに至るまでに培ってきた見栄や虚勢のせいで、その話をまともに聞くことができなかったのである。
道元は、『だからこそそなたは憑りつかれているのだ』と強く諭すと、その言い回しが気に食わなかった北条は、『覚悟はできているだろうな』と言って、刀を抜いて道元を斬り殺そうとした。
しかし道元はそこに座って座禅を組み、
『もとより、里に下りてきたときから死を覚悟しています』
と言って目を閉じた。北条はギリギリまで後ろから道元の首を斬り落とそうとしていたが、最後の最後で踏みとどまり、道元の覚悟を受け止め、彼の言葉を受け入れることに決めた。
北条は、憑りつかれていた。それは、生霊ということもそうだが、実際には自分の欲望にだ。地位、名誉、財産、権力。この世を思うままに生きるためには、それらの要素が必要だと考えるものである。だが、それを追うと人間は、見栄、虚勢、強欲、傲慢、執着に自分を支配され、いつの間にか本来あるべき人間の心を忘れてしまうのだ。
あるがままで生きるべきだ。お金や権力は天国にもっていくことはできない。人は死ぬのだ。最初からそれは決まっていたはずのことだった。その『あるがまま』の現実を理解すれば、おのずと自分に憑りついている肩の荷も下りるだろう。道元は、北条に対して、命を懸けてそう助言したのである。
『あきらめてしまうと、癒しようのない不幸も和らげる。』
ホラティウスは道元よりも1200歳年上だ。古今東西、いたるところでこの事実は見出されている。それは、この事実が『真理』だからに他ならない。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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