名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
たった今、86歳の祖母が認知症であることがわかった。まあ、高齢者の定めでもあるのかもしれないが、とうとう私の祖母にもそれがやってきたのだ。私の祖父母は彼女で最後だ。彼女の夫、つまり私の祖父は、この本田宗一郎に、とても風貌が似ている人間だった。中小企業の創業者だった。自慢のベンツで、よく高速道路で車を飛ばしすぎ、速度オーバーの警告の音が車に鳴り響いていたのを覚えている。
祖父と祖母は、当然戦争も体験している。大きな借金もあったと聞いている。つまり、とても波乱万丈な人生を生きたのだ。まるでジェットコースターのように、急激に上がり、急激に下がり、浮き沈みの激しい、刺激的で、活気ある人生を生きたに違いない。だが、そんな祖母が認知症になった。ここには、どんな心理背景が関係しているだろうか。
実は、私とこの祖母は、『半確執状態』である。私が数年前に彼女に高圧的な態度を取られ、私が(誰にその態度取ってるかわかってんだろうな)という考えの下、彼女をぶん殴る代わりに、彼女に対してそれまでとは違う接し方をするようになった。
私は、見栄と虚勢に支配された傲慢不遜に陥った人間が、人間には見えない、という特性を持っているのである。だから、人間として扱うつもりはない。最初に高圧的な態度を取ったのはあっちだ。私を『舐め過ぎ』である。
普段、高齢者だからといって下手に出て、おだてていたのがいけなかった。もう余命も短いからと言って、何でもかんでも許していたのがいけなかった。かつて、戦争を体験して、息子が精神分裂病になり、今や私の母以外はすべて家族も亡くなった、という状況について、同情したのもいけなかった。人間の禍々しい一面を助長させることは、『教育』ではない。『教育』とは、わかっている人が、わかっていない人に物を教える作業だ。
彼女は敬虔なクリスチャン『を演じている』が、私は、
孔子、
ブッダ、
キリスト、
その全てを平等に扱い、彼らの教えが何であるかを考察するためにそれに目を向け、時間を費やしたのだ。『キリストのみを盲信』あるいは、『宗教の援用(都合の良いように使う)』をしている祖母が、私に教えることなど何もない。そもそも『そこ』を見誤っている時点で、そんな見る目のない、表層上の事だけで世界を見ている人間の意見は、傾聴に値しないのである。
厳しいようだが、私は普段、部下にも同じように厳しくしている。身内だからといって差別するような真似は絶対にしない。それだけだ。そして当然それは私自身にも同じ目を向けなければならない。断固とした『目』だ。人生だけではない。この世のすべてを公明正大に見る目。それがなければ、およそ意見を言う資格などない。
祖母が生きる時代は、『えいやあ』という勢いで、高度経済成長に一目散となれた時代なのかもしれない。だが、時代は変わるのだ。まさか、『自分たちが生きた時代だけが正しい』と思っているわけではあるまい。だとしたら、刀を振り回して、敵の生首を手土産にしていた時代も、正しいということになる。そしてそれは当然、私が生きるこの時代とて、同じことだ。時代は巡る。それを変えることは出来ない。
アインシュタインは言った。
私も祖母も、同じように頑固で、同じように儚く、同じように虚しい。そして、同じように『尊い』。それもまた事実だ。しかし、『尊いのだ』ということを曲解するなら、軋轢が生まれる。
人間とはなんと儚いものだろうか。しかし、それは最初から知っていたはずの事実である。祖母はもうすぐ死ぬし、私もその後、必ず死ぬのだ。あるのはお互いにある命の日数、そしてこの『意志』だ。我々は、意志をもって、与えられた命の日数を生きている。さて、あなたはこの人生をどういうものにするつもりだろうか。
追記:祖母はこの後、私に謝罪できた。詳細は、
この記事に書いた。88歳のときだった。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
当サイトにある500人の偉人の8000の名言は、ぎゅっと集約して『38』にまとめられます。人間がいる以上未来永劫廃れることのないこの情報を、決してお見逃しなく。
『38の黄金律』へ
Pickup名言