マイケル・サンデル『道徳的個人主義者にとって、自由であるとは、みずからの意思で背負った責務のみを引き受けることである。』

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ふむ…。

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考察

マイケル・サンデルの著書、『これからの「正義」の話をしよう』にはこうある。

『道徳的個人主義』

『これからの「正義」の話をしよう(P275)』

 

公式謝罪に対する原理的反対論を退けるのは容易ではない。この反対論の根拠にあるのは、われわれは自分がすることにのみ責任を負い、他人の行為にも、自分の力の及ばない出来事にも責任はないという考え方だ。両親や祖父母の罪について釈明する義務はないし、さらに言えば、同胞の罪に関しても同様だ。だが、これでは問題を否定的にとらえることになる。公式謝罪への原理的反対論が重要なのは、道徳的に協力で魅力的な考え方に拠っているからだ。その考え方は、『道徳的個人主義』と呼べるかもしれない。

 

 

道徳的個人主義の原理は、人間は利己的だと仮定しているわけではない。そうではなく、自由であるとは何を意味するかを主張しているのだ。道徳的個人主義者にとって、自由であるとは、みずからの意思で背負った責務のみを引き受けることである。他人に対して義務があるとすれば、何らかの同意ー暗黙裡であれ公然とであれ、自分がなした選択、約束、協定ーに基づく義務である。

 

私の責任は私が引き受けたものに限られるという考え方には、解放感がある。この考え方は、われわれは道徳的行為者として自由で独立した自己であり、従前の道徳的束縛から解き放たれ、みずからの目的をみずから選ぶことができるという前提に立っている。

 

習慣でも伝統でも受け継がれた地位でもなく、一人一人の自由な選択が、われわれを拘束する唯一の道徳的責務の源である。このような自由観には、連帯責任も、前の世代が犯した歴史的不正の道徳的負荷を背負う義務も、ほとんど入る余地がない。

 

私が祖父に、その負債を支払うとかその罪について謝罪するなどと約束したなら話は別だ。弁償の義務は合意に基づく責務であって、世代を超えた集団としてのアイデンティティから生じる責務ではない。そうした約束でもないかぎり、道徳的個人主義者は前の世代の罪の責任はとろうとはしない。つまるところ、その罪は前の世代のものであり、私のものではないからだ。

 

 

道徳的個人主義の自由観が正しいとすれば、公式謝罪の批判者に一理あることになる。われわれは前の世代の過ちに対して道徳的な重荷を負わないからだ。しかし、問題は謝罪や連帯責任などよりもはるかに大きい。道徳的個人主義の自由観は、現代政治でおなじみのさまざまな正義論に姿を現すのだ。そうした自由の概念には欠陥があると私は思う。だとすれば、われわれは自分たちの社会生活の基本的特徴について考え直す必要がある。

 

まずは『個人』の話だ。自分の祖先がやったことは、自分ではないから、謝罪することは無い。そういう発想は、別に悪ではない。例えば、『存在することは罪にならねぇ!!!』にも書いたが、自分の親や祖先が、いくら凶悪で、社会に害を及ぼす劣悪な人間だったとしても、そこに生まれた子供には、何の罪もないのだ。

 

それに、『財産の相続放棄』という考え方や、『法の不遡及』という考え方があることを考えても、人間というものは、どこか『過去と現在』を切り離して考えているところや、常に前へ前へと進んでいる傾向があって、ということは、『常に過去は間違っている』ことを暗に認めていることにもなるわけだ。

 

ヘンリー・ミラーは言った。

 

自分の人生とは無関係のところで発生した足枷を、つけて生きていくことを強いられたなら、私だったら理不尽を覚え、自分の身の潔白を証明する為に立ち上がることを選択する。

 

アリストテレスは言った。

 

つまり、自分の人生の舵を握り、主人となって文字通り、主体的に生きる人は、たとえ生まれた身分が奴隷であっても、彼は奴隷ではない。だが、自分の人生の舵を握ることを放棄し、舵を握ってくれる主人を探して反応的に生きる人は、たとえ生まれた身分が自由民であっても、彼は奴隷である。

 

過去に生きた人間がどのような足枷を発生させたかは知らないが、そんなこと、自分には関係ないだろう。あるのであれば、そんな『最近』の話を持ち出すのではなく、人類が始まった、その当時まで遡って判断しなければ、公正ではない。つまり、『今生きている人の記憶の問題』ということになり、だとしたら、その『誰かの記憶』というものを主張する人間には、『エゴ』がある。

 

死んだ者はそれを主張しないのだ。しかし、それを主張するというのなら、そこには、『生きている間に自分の思い通りの展開に少しでも事を運びたい』というエゴが介入していることになり、それを鵜呑みにしてしまうことは、『Win-Win』ではない。

 

 

だが、これが『公的謝罪』という国家レベルの規模の話になると、やはりなかなか簡単な話ではない。しかし、『国』という存在を、一つの『人格』として考えた時、やはり本質は個人のそれと考えた場合と、あまり大差はない印象を受ける。

 

ただ、もしその事実を認めてしまった時には、『被害が及ぶ範囲が広い』ということで、個人のときのそれよりも、責任の重さに圧倒的な違いがあり、『プロスペクト理論』に支配されざるを得ないわけだ。人人間は目の前に利益があると『利益が手に入らないというリスク』の回避を優先し、損失を目の前にすると『損失そのもの』を回避しようとする傾向があるのである。

 

『相続放棄』の話に戻れば、人間というものは、自分の利益になるお金や不動産といった資産は相続する癖に、借金という負の遺産は相続放棄するものである。実に自分勝手で、利己的である。

 

しかし、常に『過去と現在』を切り離して考え、常に前を向いて生きていく姿勢がなければ、人間の文化はここまで躍進しなかったことも事実。但し、最後に考えるべきなのは、インディアン、クリー族のこの言葉である。

 

 

 

 

 

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