名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
マイケル・サンデルの著書、『これからの「正義」の話をしよう』にはこうある。
『愛国心は美徳か?』
『これからの「正義」の話をしよう(P296)』
愛国心は大いに議論のある道徳的心情だ。国家への愛は批判の入り込む隙のない美徳だと見る人もいれば、盲目的従順、ショーヴィニズム(狂信的愛国心)、戦争の根源と見る人もいる。われわれが問うのは、もっと個別の問題だ。国民同士はたがいに、他国民に対する義務よりも大きな責務を負っているだろうか?もし負っているとするならば、その義務は合意のみに基づいて説明できるだろうか?
愛国心の熱烈な擁護者、ジャン・ジャック・ルソーは、コミュニティへの愛着とアイデンティティはわれわれの持つ普遍的人類愛を補完するのに必要なものだと説く。
『人類愛という心情は、世界全体に広げると薄まり、弱まってしまうようだ。われわれは、タタール地方や日本で起きた災厄に、ヨーロッパの民族を襲った災厄と同じ衝撃を受けるわけではない。関心と同情が湧くのは、ある程度の範囲内に限られる。』
愛国心は仲間意識を強める、限られた範囲内の原理だとルソーは示唆する。
『人類が国民ごとに集い、たがいに顔を合わせる慣わしを通じて、また、たがいを結びつける共通の利害を通じて、新たな力を身につけるのはよいことだ』
だが、もし国民同士が忠誠心と一体感という絆で結ばれるとしたら、それは外国人に負うよりも多くのものをたがいに負っていることを意味する。われわれは人民が徳を持つことを望んでいるだろうか?それならば、手始めに、彼らが国を愛するように仕向けよう。だが、もし国が、彼らにとっても外国人にとっても同じ意味しか持たず、万人に与えざるを得ないものにしか彼らに与えないとすれば、どうやって国を愛せと言うのだろう?
たしかに国は自国民に対し、他国民よりも多くのものを与える。たとえば、アメリカ国民には、さまざまな形の公的サービスー公教育、失業手当、職業訓練、社会保険、メディケア、福祉制度、食糧切符などーが提供されるが、これらは外国人には提供されない。実際、移民政策の緩和に反対する人々は、新たに入国した移民が、アメリカの納税者の支払いによって維持されてきた社会制度に便乗するのを懸念している。
だが、そうした懸念からは一つの疑問が浮かぶ。なぜアメリカの納税者は、国外に住む人より、同国民の困窮者に多くの責任を負うのだろうか?あらゆる形の公的支援を嫌い、社会保障制度の縮小を望む人もいる。いっぽう、発展途上国の国民を支援する為、現在行っている対外援助を拡大すべきだと考える人もいる。そして、われわれには同国民のニーズにこたえる特別な責任があるが、世界の誰にでも同じ責任を持つわけではないことに、ほとんどの人は賛成する。
この区別は道徳的に擁護できるだろうか?それともこれはえこひきいで、同類を優遇する偏見にすぎないのだろうか?そもそも国境の持つ道徳的意義は何だろうか?必要性ということだけで言えば、世界中に10億人いる一日一ドル以下で暮らす人々は、アメリカの貧困層よりも困窮している。
ジミ・ヘンドリックスは言った。
全てはそこに書いた。
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